日々のみことば

6月28日のみことば

2017-06-28

「主の御心が行われますように」(使徒言行録21:14)

キリスト者は時々「神の導き」とか「神のご計画」と言います。しかし考えてみると、自分の願望や計画をそういう言葉で言っている場合もあるのでは? では何が本当に「神の御計画」「神の導き」でしょうか。神学者ヴァルター・リュティは「人間の願望により少なく添うような道」「人のことを思わないで、神のことを思う道」(マタイ16:23)と言います。「御心が行われますように」と祈りつつ今日の歩みを始めたいと思います。

 

6月27日のみことば

2017-06-27

「聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません」(ヘブライ12:14)

聖なる生活とはどのようなものでしょう? それは、神に心を向け、神の言葉に思いを馳せ、神の聖なる御意思に従う生活のことです。そういう歩みに一歩を踏み出してみると、私たちを愛し、私たちのために素晴らしい計画を持っておられる神の存在に気づきます。神が私の今日を力強く導き、豊かに祝福してくださっていることをきっと感じるのです。

6月26日のみことば

2017-06-26

「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(ローマ8:6)

「肉の思い」とは神を否定し自分中心に生きようとする思いであり、「霊の思い」とは神への信仰と愛から生じる思いです。前者の結末は争いと死であり、後者の結末は命と平和です。平和とは神との和らぎであるだけでなく、それに基づいた人間の憩いと平安です。もし今人間関係がぎくしゃくしているなら、ひとまずそれを置き、神に思いを向け、導きと祝福を求めてお祈りしてみてはいかがでしょう。神は不思議な仕方で整えてくださることでしょう。

6月25日のみことば

2017-06-25

「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)

繰り返し知りたいことがあります。それは「神は愛」という事実です。私が悲しみや苦しみの中にある時、誰からも理解されず孤独である時、病のために将来に不安を感じている時…、「神様、あなたは愛なる方ですよね?」と尋ねます。私の心は「そうだ、私はあなたのことをいつも愛している」という静かな声を聞くのです。礼拝はそのための場です。

6月24日のみことば

2017-06-24

「一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った」(マタイ8:2)

「重い皮膚病」とはハンセン氏病です。この病に苦しんでいた一人の人が主イエスに言った言葉です。イエスよ、あなたは私を癒すべきだと言うのではないのです。一切を主イエスの判断に委ねる深い謙遜があります。同時に、主イエスは私を健やかにできる力をお持ちだという深い信頼があります。謙遜と信頼、私たちもそうありたいものです。

6月23日のみことば

2017-06-23

「シオンの子らよ。あなたたちの神なる主によって喜び躍れ」(ヨエル2:23)

「シオンの子」とは神を信じ愛する人々のこと。預言者ヨエルは「神なる主によって喜び躍れ」と言います。この喜びは神が与えてくださる「純粋な喜び」であり、私たちを躍動させる喜びです。そういえば、使徒パウロも「わたしの兄弟たち、主において喜びなさい」(フィリピ3:1)と言っています。主が今日私たちにそのような喜びを与えてくださることを期待しつつ歩み出しましょう。

6月22日のみことば

2017-06-22

「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせます」(Ⅱコリント7:10)

論語に「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝えしかと」とあります。貴いことです。しかしパウロは真の反省は神の前でわが身を顧みることだと言うのです。「あゝ、あれは私の間違いだった」と気づき悔い改める、それこそ神からの本当の救いと祝福が始まる第一段階なのです。

6月21日のみことば

2017-06-21

「神の国は言葉ではなく力にあるのですから」(Ⅰコリント4:20)

これは使徒パウロがコリント教会に宛て紀元50年代に書いた手紙の中にある言葉です。彼がローマ教会に宛てて書いた手紙の中にも似た言葉があります。「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ローマ1:16)。「力」とはギリシャ語でデュナミス、破壊的ではなく創造的な力です。神の力は今日も信じる私たちの心に、生活に、家庭に、教会に、そして世界に働いています。

6月20日のみことば

2017-06-20

「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」(Ⅰサムエル1:15)

これはサムエルの母ハンナの言葉です。子どもがいなかった彼女は「子どもお与えください」と祈っていたのです。ここで大切な言葉は「主の御前で」です。神以外の誰かに伝えることは危険なことであると、ヴァルター・リュティは言います。人に言えばしばしば愚痴だと言われ、うわさとして伝わる可能性があります。そして何よりも人は私たちの課題に対し良い解決を与えることができないからです。ただ神のみが最善の道をご存じです。

6月18日のみことば

2017-06-18

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」(Ⅱコリント13:13)

使徒パウロはコリント教会のためにこの祝福の祈りを捧げました。それは同時に私たちのための祈りでもあります。主イエスの恵みは想像できないほど絶大です。神の愛は「心の底からの喜びで身震いするほど」です。聖霊(神の力)は私たちのぎこちない人間関係を「和合して共にいる」素晴らしい関係に創り換えるのです(詩編33:1)。感謝です!

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