日々のみことば

12月18日のみことば

2017-12-18

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(マタイ2:9~10)

マタイ福音書は幼児イエスのもとに来た東方の博士たちのことを記しています。彼らはどんな星を見たのでしょう? 新星、彗星、魚座の中で木星と土星が出会う惑星合と諸説あります。いずれにしろ博士たちは星に導かれて幼子に出会う旅に出発したのです。この行動力は見倣うべきです。私たちは〈聖書〉という〈星〉に導かれて幼子に出会うのです。

12月17日のみことば

2017-12-17

「主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。』」(マタイ1:20)

神の御子イエスの誕生に際しマリアとヨセフは大切な役割を果たします。受胎を告知されたマリアは「お言葉どおりこの身になりますように」と答え、讃歌を歌います。ヨセフも天使からみ告げを受けますが、言葉による応答はありません。しかし「主の天使が命じたとおり妻を迎え入れ」とあります。この誠実な行動こそ彼の告白であり讃歌なのです。

12月16日のみことば

2017-12-16

「わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい」(ヨハネ黙示録3:11)

現代は信仰を軽視する時代です。まるでそれが幻想、夢想、逃避であるかのように思っています。しかし信仰とは希望であり、支えであり、力なのです。今日のみことばの「わたし」とはキリストであり、「持っているもの」「栄冠」とはキリストへの信頼です。そのキリストが私たちに救いをもたらすために「すぐに来る」と言われます。感謝です!

12月15日のみことば

2017-12-15

「もし信じるなら、神の栄光が見られる」(ヨハネ11:40)

事態は改善しそうにない、それどころかますます難しい状況に追い込まれるように思える、そんな時があります。海に投げ出された時決して救命胴衣を離してはならないように、そのような時こそ主イエスへの信頼を失ってはならないのです。主イエスは「信じるか」と私たちに信仰を求め、「もし信じるなら」神の栄光、力、救い、恵みが見られると約束されるのです。「主よ、信じます」と告白しつつ今日の歩みを始めたいと思います。

12月14日のみことば

2017-12-14

「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1:9)

ヨハネ福音書はイエス様のことを様々な言葉で表現します。「言」「道」「真理」「ぶどうの木」「パン」…、そして今朝の「光」。闇は私たちに不安や恐怖を与えますが、光は喜び、希望、平安、愛、暖かさをもたらします。神の御子イエスはそれらを私たちに与えるためにこの世に来てくださったのです。クリスマスになるとみんなの心が優しくなります。なぜ? きっと私たちの心がこの光で満たされるからでしょう。

12月13日のみことば

2017-12-13

「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる』」(ルカ2:9~10)

ベツレヘムの羊飼いたちは天使のみ告げを聞きましたが、他の人々は何も聞きませんでした。彼らが聞いていたのは、皇帝アウグストゥスの圧政やヘロデ大王の悪政についての話だったことでしょう。それも知る必要があります。しかし本当に必要なことは、神からの喜びの知らせであり、神が既に始めておられる救いの働きだったのではないでしょうか。

12月12日のみことば

2017-12-12

「貧しい者をかえりみる人はさいわいである」(詩篇41:1/口語訳)

若林ひとみ氏の『名作に描かれたクリスマス』には、デンマークの絵本作家スヴェン・オットーの『クリスマスの絵本』が紹介されています。彼は入念な時代考証に基づき19世紀デンマークのクリスマス風景を描いています。そこには豊かな人の側にたたずんでいる貧しい人々の姿が描かれています。クリスマスは彼らにも目と心を注ぐべきだという主張なのでしょう。詩篇は「主はそのような人を悩みの日に救い出される」と記しています。

12月11日のみことば

2017-12-11

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」(Ⅰヨハネ4:9)

昨日小学科の生徒たちとクリスマスをお祝いしました。私は彼らに尋ねました、「クリスマスはどなたの誕生日?」。もちろん彼らは「イエス様のお誕生日」と答えました。「サンタ」と答えた生徒は一人もいませんでした。神の御子イエス様の誕生こそ神の愛のしるし、「その方によって」わたしたちが救われ、意義ある人生を生きるようになるのです。

 

12月10日のみことば

2017-12-10

「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」(ルカ2:16)

羊飼いたちの行動力を表す言葉が次々に出てきます。「急いで行って」、天使のみ告げと讃美は彼らを直ちに行動へと駆り立てました。「探し当てた」、真夜中の作業は困難だったと思います。しかし告げられた幼子を見い出すまでは決して諦めなかったのです。そしてついに幼子にまみえた喜び! 羊飼いのような行動力が確かに私たちにも必要です。

12月9日のみことば

2017-12-09

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った」(ルカ2:15)

前回は「さあ」という促しの言葉について書きました。今朝は「見ようではないか」について。「見る」とはみ告げの確かさを確認するという意味です。神からの知らせは決して空言ではありません。それは私たちの世界に現実に起きるのです。私たちはそれを確かめ感謝するのです。神は今日も私たちに喜びの出来事をもたらしてくださることでしょう。

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