日々のみことば

10月18日のみことば

2017-10-18

「わたしたちの父である神に栄光が世々限りなくありますように」(フィリピ4:20)

人間の知恵も力も限りがあります。そんな人間がいつでも中心にいなければ我慢できない思想は「実に不気味で耐え難い思想」だと神学者ヴァルター・リュティは言います。聖書は、私たち人間は神の大きな愛と恵みの中で感謝して生き、一切の栄光を神に帰すのだ、と教えています。私のモットーは「栄光は神に、喜びは隣人に、奉仕は私に」ですが、これは私自身を幸福に導く生き方だったように思います。

私たちの教会堂には固定されている十字架が4本ありますが、写真の十字架は会議室にあるガラス製の十字架です。大きさは小さいですが、十字架の主イエスを心に想起しながら話し合えるのはとてもいいです。

 

10月17日のみことば

2017-10-17

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(Ⅰコリント1:18)

十字架はキリスト教会のシンボルです。私たちの教会堂には外に2つ内に2つ十字架が取り付けられています。十字架は何を象徴しているのでしょうか。イエス・キリストが私たちを愛し、罪の赦しを得させるために苦しんでくださったという貴い事実を伝えているのです。その十字架を見上げる度に私は「ここにほんとうの愛がある」と確信するのです。(下の写真は4箇所のうちの3箇所です。もう1箇所はまた別の機会に掲載します)

10月16日のみことば

2017-10-16

「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです」(ヨハネ4:42)

宗教改革者ルターは、伝道者にできるのは福音をその人の耳にまで届けること、それを心に届け、理解させてくださるのは神ご自身のお働きだ、と言います。確かにそうです。説教を聞いてくださった方が、「主イエスは私にとって大切な存在です」とか「わたしは主イエスを信じます」と言う時、私は「神ご自身がお働きになったのだ!」と確信します。

10月15日のみことば

2017-10-15

「御言葉が開かれると光が射し出で/無知な者にも理解を与えます」(詩編119:130)

私はこの聖書の言葉に出会うと、宗教改革者ルターのことを思い出します。ルターは「神の義」という言葉に悩んでいました。これまで人の罪を裁くのが神の義と教えられ、そう思い込んでいたからです。しかし聖書の学びを深める中で彼は新しい理解に導かれました。神の義とは人の罪を赦し、義とし、救いに導くもの。彼は解放され、さながら天国にいるかのようだったと言います。まさに御言葉の光が彼の心の闇を照らしたのです。

10月14日のみことば

2017-10-14

「いかに幸いなことでしょう、心に欺きのない人は」(詩編32:2)

欺き、だまし、非難し、言いくるめようという思いを隠している人と付き合う時には、私たちはいつも用心し、距離をとって付き合うことになります。しかし相手が欺きのない人であれば安心して話ができます。ほっとしますし、再会が楽しみになります。そのような人は隣人から愛され信頼されますが、神もまたその人を愛し祝福してくださるのです。だからこの詩編の詩人は、本当に幸いな人とは「心に欺きのない人」だと言うのです。

10月13日のみことば

2017-10-13

「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)

昔は見知らぬ地で道に迷うと不安になったものです。しかし今はスマホがありますので、すぐに自分の居場所と目的地への道を見い出すことができます。便利なものができました。しかし地図ならそれで解決ですが、人生の道となると話は別です。様々な問題に直面しどれが正しい道なのか、どの道を進めばよいのか、誰しも迷うのです。そんな私たちに主イエスは「わたしは道」と言われます。今日も主イエスが示される道を歩みましょう。

10月12日のみことば

2017-10-12

「自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります」(ヘブライ10:35)

ここで言う「確信」とは神が私たちを愛し、導き、祝福してくださるという確信です。私たちは自分の知恵と経験だけでは対処できないような大きな問題に直面します。不安や恐れで心がいっぱいになります。手も足も出ない状況です。私たちの確信が実力を発揮するのは、まさにそのような時なのです。この確信は私たちの心の中で大きなものになり、私たちを不安と恐れから解放します。代わって平安と喜びと勇気に満たされるのです。

10月11日のみことば

2017-10-11

「あなたがたは・・・人の奴隷となってはいけません」(Ⅰコリント7:23)

もちろん私たちは自由人であって、誰かの奴隷ではありません。しかし本当にそうでしょうか。目覚めた時に思い起こすことがその人の本音だと言います。誰かに対する怒りや憎しみが沸き起こってくるなら、私たちは怒りや憎しみの奴隷になっているのです。あるいは過去の失敗が思い出されるなら、失敗の奴隷になっているのです。反対に、山の稜線を美しく彩る朝日のように神の愛が確認されるなら、その人は本当に幸福な人なのです。

10月10日のみことば

2017-10-10

「兄弟たち、わたしたちのために祈ってください」(Ⅱテサロニケ3:1)

使徒パウロはテサロニケ教会のメンバーに自分たちの働きが順調であるよう「祈ってください」と要請するのです。日野原重明先生は召される前、20時間に及ぶインタビューを受け、それが『生きていくあなたへ』という本になりました。私にとって印象的だったのは、先生がインタビューアーに「私と一緒にお祈りしてください」と依頼されたことです。私たちは他者の祈りに支えられている存在なのです。お互いに祈り合いましょう。

10月9日のみことば

2017-10-09

「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)

子どもの頃、教会学校で歌った讃美歌がふと思い出されることがあります。「海のように広く深い、天のように高い、イエスの愛・・・」。今日は体育の日、もしあなたが海の側にいるなら、水平線のかなたに目を注いでみましょう。もし運動会に参加しているなら、秋晴れの空に目を注いでみましょう。そしてこの讃美歌の歌詞を口ずさんでみてください。主イエスの無限の愛を実感できるかもしれない。そんな一日になればいいですね。

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