信仰生活ABC

問17:しかし旧約は、いや新約も、それぞれ遠い昔の人々のためではありませんか。

答:そうです。遠い昔の人々のためでした。しかしまた同時に、すべての時のすべての人のためでした。イエス・キリストは、今ここに在る私たちのうちに起こっている出来事なのです。これが一度限りという言葉の意味なのです。

C.H.スポルジョンという19世紀の英国の名説教家は『主の約束は朝ごとに』の中でこう言っています。「神の約束は、現金と引き換えになる小切手と比較することができよう。その約束は、何か良いものが授けられるという意図をもって、信じる者に与えられる。読んで楽しんだら二度と目に触れないといったものではない。小切手を扱う場合のように、私たちはそれを現実のものとして受けとめるべきである。私たちは約束を受けとめ、それをうそ偽りのないものとして個人的に受け入れる行為を通して、その約束に自分の名前を書き込むべきである。すなわち、それを信仰をもって自分のものとして「受け取る」べきだ。こうして私たちは神は真実であり、特定の約束の言葉を必ず守られると承認することになる。さらに進んで私たちは、確実な約束を手に入れているという祝福が与えられていることを信じ、そのため、その祝福をすでに領収ずみであることをあかしするため、約束の小切手に署名するのである。・・・」。

長い引用になりました。私の祖母は愛用の聖書のある言葉に、「主よ、この約束を信じます」と赤鉛筆で書き込んでいました。聖書の言葉は信じる者に対する約束なのです。主イエス・キリストを通しての救いは、過去の人々のためであり、現在の私たちのためであり、さらに将来の人々のためのものなのです。

聖書を通して主イエスの救いがあなたにもたらされるようお祈りしています。

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