信仰生活ABC

問20:しかし教会も間違って解釈していませんか。

答:はい、しばしば教会も聖書を間違って解釈してきました。それは恐ろしいことですがまた避けられないことでもありました。しかし教会は、古くから聖書の中で、もっとも大切なものとして三つの箇所をとり出して、その解釈の拠り所としてきました。

自分が絶対に正しいと思い込むことは危険です。どんな人でも間違うのです。信仰の世界でも同様です。カトリック教会には「教皇無謬説」という考え方があります。「教皇の至上権を認める立場から信仰と道徳に関して語る教皇の言葉は無謬であるとする説」です。しかしプロテスタントがそうであるように、カトリックも時に間違った解釈をしてきたのが教会の歴史です。しかし感謝なことに、そのような状況の中で繰り返し聖書に戻って問い直し、軌道修正されてきたのです。

三浦綾子さんの『遺された言葉』という本に次のような言葉が出てきます。「ほんとうに自分の行為に責任をもつことが出来る人だけが、心から『ごめんなささい』といえるのではないだろうか。『ごめんなさい』なんと美しく、謙虚で素直な言葉だろう」。個人においても、教会においても「ごめんなさい」がしなやかに口から出てくるようでありたいと思います。

ところで軌道修正のための三つの拠り所とは何でしょうか。使徒信条、主の祈り、そして十戒です。念のため申しますが、バプテストは一人ひとりが、一つ一つの教会が置かれた状況の中で信仰を告白することを大事にします。しかしそのことは使徒信条で告白されている内容を否定するということではありません。もし否定するなら私たちはキリスト教の異端となってしまうでしょう。バプテスト史の研究者の書いたものに、私たちの教会の信仰宣言は「使徒信条を下敷きにして」という言葉があり、とても納得できました。

次回この三つについて少し詳しくお話しようと思います。

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