信仰生活ABC

問23:それでは、はじめにイエスについて話し合いましょう。まずイエスの史実は、確かなのですね。

答:イエスの自筆は一句も残っていませんし、福音書は、イエスの死後、それも過去のイエスを事実としてではなく、今生きて語り働いているかたとして伝えているイエスのことばや物語など、さまざまな資料によって、書いたものです。そしてたとえばマルコは、イエスの伝記ではなく、「イエス・キリストの福音(1:1)を形成しています。だから、キリスト神話などと言われたのですが、キリスト教以外の、当時のローマの歴史書やユダヤ教文献でわずかに言及している所を見ても、イエスの史実存在とローマ法による十字架刑は、疑う余地のない史実であります。

ルカ福音書2章を見ると、「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である」とあり、またイエスの十字架刑の宣告を当時のユダヤ総督ピラトが行うことが記されています。これらはイエスがまぎれもなく歴史上の人物であることを告げているものです。決して架空の人物ではないのです。

もとより福音書は単なる伝記ではありません。それはイエスを救い主と信じる人々によって書かれたものです。しかしその人物に対する関心や評価や立場を持たないような伝記があるのでしょうか。アルベルト・シュヴァイツァーに関する書物も賛否両論あるのです。否定的な立場の人が書いたものに『シュヴァイツァーを告発する』があり、それによるとシュヴァイツァーは自分を兄とし、アフリカ人を見下して弟と呼ぶ暴君だと書いています。正直ひどい本だと思いました。そもそも完全に客観的な伝記など存在しないでしょう。それぞれの立場を持っているのです。だから福音書がイエスをキリストと信じる人々によって書かれたとしても当然だと思います。しかしそれは全くの作り話ではなく、その中には核となるべき史的な出来事があるのではないでしょうか。

私はそう思っています。そしてイエスを信じた人々が書いた福音書を通して私もまたイエスを私のキリストとして信じることができるのです。イエスの言葉は今ここで生きている私に救いをもたらし、生きる喜びと力を与えてくれている書物なのです。あなたにとってもそうだと思っています。

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