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救いを受けしはみ恵みなりき

私はクリスチャン三代目になります。初穂である祖父母がどのようにして主キリストへの信仰に導かれたのか、この信仰がどのようにして家族に伝わったのか、さらに父がどういう仕方で信仰へ、そして牧師へと導かれたのか、また私自身のこと、長男の献身について一連の流れとして考えてみました。この機会に父の入信と献身

祈りと喜び

ルカ福音書11:1に「イエスはある所で祈っておられた」と記されています。特定の場所を記してはいません。それは主イエスがしばしばどこででも祈っておられたからに違いありません。祈りは主イエスの日常だったのです。祈った後の主の表情は澄み渡った青空のようだったのではないでしょうか。主の姿は弟子たちの心の

われらバプテスト

バプテスト教派の特徴の一つは聖書主義です。何を信じ、どう生きるのかを聖書から学ぶのです。主イエスは聖書についてヨハネ5:39でこう言っておられます。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」私たちは聖書を通して主イエス・キ

「神の愛を伝えたい」

人生には親の愛を重苦しいと感じる時期があります。しかしそれを過ぎると、親の愛をかけがえのない宝のように実感するのです。神の愛も同じではないでしょうか。神は存在しない、存在したとしても私には関係ないと言っていた人が、やがて神の愛を有難いと感じる時がくる、そういう変化が起きるのも人生でしょう。ルカ福

「光に照らされ、光となる」

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子先生が昨年12月30日召天されました。享年89才。数年前からすい臓がんを患い、闘病しつつ9月30日まで教壇に立ち続けられました。昨年3月発行の『文芸春秋』に「二・二六事件―娘の八十年」が掲載されました。青年将校の銃弾に斃れた教育総監渡辺錠太郎氏はお父様。わずか

「神の国に生きる幸い」

イエス・キリストはヨハネ黙示録1章17節で次のように言っておられます。恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。キリストは歴史の初めに立ち、終りにも立たれます。私たちの一生もこの方の導きと配慮の中にあります。この方の御手からもれる日は一日もありません。主イエスこそが私

「初めと終わり」

ヨハネの黙示録1章17節はイエス・キリストのことを次のように記しています。恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。私たちは2017年の元旦に立ち、新しい歩みを始めようとしています。心には前途に対する期待と不安が入り混じっています。今私たちがすべきこと、それはこの年の

2016年クリスマス祝会

テーブルに並べきれないご馳走、楽しい語らいと出し物、教会のクリスマスならではのひとときでした。2017年のクリスマスにはあなたもどうぞ!

2016年クリスマス

心にしみわたる聖書朗読、堂内に満ちる聖歌隊の賛美、牧師によるクリスマスメッセージ、そして会衆一同がクリスマスの喜びを歌う、教会のクリスマスに2017年はあなたもご家族とご一緒におでかけくだ

「乳飲み子を探し当てた」

マタイの降誕物語には東方の博士たちが登場しますが、ルカでは羊飼いたちが登場します。当時羊飼いたちの社会的評価は低いものでした。夜も家を離れて野原にいるので妻子を守ることができません。しばしば彼らの羊は他人の土地の草を食べるため盗賊扱いされました。しかし彼らは家に残している家族を想い神に祈り、危険や苦

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