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箴言ところどころ⑥

 「賢人の教えは命の源。死の罠を避けさせる」(箴言13:14)ある本にこう書いてあります。「はえが蜘蛛の糸にかかるように、人は死の罠に突然捕えられる。み言葉の働きがなければ、捕虜、貧困、奴隷の罠に陥り、途方にくれる。知恵のおかげで人は生きる道を学ぶ」と。ジョン・オクセンハイムという人

香油と銀貨

「香油と銀貨」 マタイ26章には一人の女性が主イエスに香油を注いだ話と、イスカリオテのユダが主イエスを銀貨30枚で売り渡した話が記されています。この二つを並列して読むと、福音書記者の意図が一層はっきりしてきます。ベタニアで無名の女性が主イエスの頭に高価な香油を注ぎました。この女性の主への

箴言ところどころ⑤

高慢にふるまえば争いになるばかりだ。勧めを受け入れる人は知恵を得る。(箴言13:10)高慢な人とは、自分は何でも知っていて、もはや何も学ぶ必要を感じない人のこと。こんな人との付き合いは正直面倒だ。様々な争いの背景にはきまって高ぶりがある。謙遜な人は他者の愛ある忠告に耳を傾け、正しいやり方で問

一粒の麦、地に落ちて死なずば

「一粒の麦、地に落ちて死なずば」 福音書は、長い序文を持った受難物語である(マルティン・ケーラー)と言われます。イエス・キリストの十字架上での死と、その後の復活顕現という聖書が語る証言に、わたしたちの救いの根拠が示されています。その意味で、十字架はキリスト教信仰の原点でもあります。「十字架の神学

箴言ところどころ④

富んでいると、見せて無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。(箴言13:7)人は実にいろいろですね。お金持ちのように見えて実は貧しく、貧しそうに見えて実は豊かである人もいます。人は外見だけは判断できません。外見と実際は逆の場合があり、外見だけで判断すると失敗しがちです。使徒

考え直す

考え直すことの大切さマタイ21章には「二人の息子」のたとえが記されています。父親には二人の息子がいます。ぶどう園の仕事が忙しかったのでしょう、父親は二人に協力を要請します。ところが兄の方は「いやです」と答えて協力を拒否しますが、後で考え直して出かけます。弟の方は実に気持ちよく「お父さん、承知しま

箴言ところどころ③

自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開く者は滅びる。(箴言13:3)口を開いて語る前によく考えることが知恵である。人は黙ることを学ばねばならない。これは支配者や暴君の前ではとくに重要である。気安さや口の軽さは決してほめられたことではない。知恵ある人はひたすら自己を抑制する。

わたしの家はいのりの家

「わたしの家はいのりの家」マタイ21 章には主イエスがエルサレムで「宮清め」をされたことが記されています。 当時エルサレム神殿には両替人や鳩を売る者がいました。なぜ両替人がいたのでしょうか。それは流通していた通貨はローマのデナリオン銀貨やギリシャのドラクメ銀貨でしたが、エルサレム神殿に献

箴言ところどころ②

「知恵ある人の舌は癒す」箴言12:18の言葉です。類似した言葉が箴言12:25にあります。「親切な言葉は人を喜ばせる」。言葉は小さな器で、時には無力にも感じます。どんな言葉を語っても相手が耳と心を塞いでしまったらおしまいです。でも反対に、相手が心を開いて聞いてくれたら、その小さな言葉が大きな素晴

子ろばに乗って

「子ろばに乗って」マタイ21章には主イエスが子ろばに乗ってエルサレムへ入城されたことが記されています。これは何を意味するのでしょうか。ピーター・ミルワード『聖書の動物事典』によると、馬は高貴な動物で、壮観な騎馬行進にはなくてはならぬ存在ですが、ろばは低俗で大衆の嘲笑の的のように思われてい

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