こんな優しさに出会って
高齢の兄弟姉妹を施設や病院にお訪ねすると、度々心が熱くなる経験をすることがあります。ホーム入所のある教会員を訪問した時のことです。「まあ、先生、お忙しいのに、ありがとうございます。でもね、今ホーム内で風邪をひいた方々がいるのです。大事な先生と奥様に感染してはいけないので今日は早めにお帰りください」と
高齢の兄弟姉妹を施設や病院にお訪ねすると、度々心が熱くなる経験をすることがあります。ホーム入所のある教会員を訪問した時のことです。「まあ、先生、お忙しいのに、ありがとうございます。でもね、今ホーム内で風邪をひいた方々がいるのです。大事な先生と奥様に感染してはいけないので今日は早めにお帰りください」と
マルコ福音書には主イエスが目の不自由な方を癒された記事が二度出てきます。私自身も以前網膜剥離の手術を受けましたので、目に関する記事は身近に感じます。一度目は8章のベトサイダにおける盲人の癒しです。主は彼の目に手を当てて「何か見えるか」と尋ねます。すると「人が見えます。木のようですが、歩いているの
新教会堂の起工式は2011年10月でした。建築中は西南学院大学のチャペルを使用させて頂き、主日毎に学院の宿直室に鍵を借りに行きました。おかげで顔なじみになり、今でも挨拶を交わしています。エアコンを作動させ、保管庫から聖書や讃美歌を出して受付に並べて礼拝を守り、12時になると急いで後片付けをしました。
宗教改革者マルティン・ルターは1525年6月にカタリア・フォン・ボラと結婚しました。彼は妻を愛し、「わたしは妻をフランスともベネチアとも取り替えたくない」と言いました。彼は妻を「ケーテ」と呼び、時には「わたしの肋骨」とも呼びました。これは神が一人の女性エバを造りアダムのもとに連れてこられた時、アダム
大貫隆先生は『聖書の読み方』の中で5つの提案しておられ、その第5は「即答を求めない。真の経験は遅れてやってくる」ということです。少し長いですが引用してみます。聖書がその力をもっとも発揮するのは、読者の常識に照らして違和感を呼び起こすところ、意味不明、異質で読みづらいと感じさせられるところなのであ