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今日の聖書の言葉です

「それゆえイスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたがたを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたがたを贖う」(出エジプト記6:6)神は人々が不当な苦しみに置かれていることを喜ばれません。神は「導き出す」「救い出す」「贖う

しかし勇気を出しなさい

ヨハネ福音書1~12章は民衆に対する主イエスの教えであり、13章以降は弟子たちに対する教えです。「イエスはこの世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13:1)。特に14~16章は後に残していく弟子たちへの配慮に満ちた言葉が二回記

イエスにお目にかかりたいのです

ヨハネ福音書12:20以降には、主イエスに会いにギリシャ人が来たという話が記されています。時は過越祭の最中、エルサレム神殿は各地からやって来た人々で溢れていました。その中にこの人々もいたのです。彼らはおそらくユダヤ教に改宗していた人々であり、主イエスに深い関心を寄せていました。彼らが過越祭にやっ

「わたしを導かれた牧者なる神よ」

創世記には生き生きとした人間の姿が描かれていて興味の尽きない文書です。第三代の族長ヤコブは晩年にヨセフの二人の子どもマナセとエフライムを祝福しました。その様子が創世記48:12~16に記されています。ヨセフは長男であるマナセがヤコブの右手に来るように、エフライムが左手に来るように配置しました。し

わたしは羊の門である

ヨハネ福音書1~12章は人々に対する主イエスの啓示、13~17、20~21章は弟子たちに対する啓示です。神学者G・タイセンは、それぞれに「段階解釈学」が見られる、つまり主の言葉によって低い段階からより高い段階へと育っていくと言うのです。ヨハネ福音書は他の福音書同様イエスのことを「キリスト」「神の

思い煩うのはやめなさい

フィリピの信徒への手紙は使徒パウロが紀元54四年頃エフェソの獄中からフィリピの教会に宛てて書いた手紙です。厳しい状況に置かれながらパウロは繰り返し「喜びなさい」(2:18、3:1、4:4:4)と兄弟姉妹を励ますのです。また次のようにも勧めています。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につ

2月8日のことば

「あの町に正しい者が50人いるとしても・・・お赦しにならないのですか」(創世記18:24)罪に満ちたソドムの滅びを予告された神に、アブラハムは50人、45人、40人、30人、20人、10人と執拗に交渉します。神は「その10人のためにわたしは滅ぼさない」と言われ、ついに甥のロト一家は救い出されるので

牧師と執事の協働2016.1.24

総会の構成員は教会員としての義務を果たしている現在会員で、その定足数は教会の規則によって定められています。総会は事柄に応じて計画の立案や決定をある人々に委ねます。ですから、執事の選出は総会の大切な事項と言わなければなりません。総会は、聖霊の導きを祈り求めて選挙し、選出された執事を信頼して、職務を

ちょうど良い時に2016.1.17

宗教改革者ルターは徹底した聖書の学びをしました。聖書の言葉の行間注と欄外注を「グロッセ」と言い、まとまった講解を「スコリエ」と言います。彼の『ローマ書講義』を読むと、聖書の言葉に集中しているルターの息遣いが伝わってくるような気がします。ローマ9:15の御言葉は次のとおりです。神はモーセに「わたし

礼拝は最高の喜び2016.1.31

身よ、兄弟(姉妹)が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)詩編133編には「都の上る歌」と見出しがついています。ある神学者はこの詩編に「家族愛」という題をつけていますが、私はもっと広く理解し、神の家族を詠った詩だと理解しています。主イエスは弟子たちをご自分のもとに

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