「神の愛を伝えたい」
人生には親の愛を重苦しいと感じる時期があります。しかしそれを過ぎると、親の愛をかけがえのない宝のように実感するのです。神の愛も同じではないでしょうか。神は存在しない、存在したとしても私には関係ないと言っていた人が、やがて神の愛を有難いと感じる時がくる、そういう変化が起きるのも人生でしょう。ルカ福
人生には親の愛を重苦しいと感じる時期があります。しかしそれを過ぎると、親の愛をかけがえのない宝のように実感するのです。神の愛も同じではないでしょうか。神は存在しない、存在したとしても私には関係ないと言っていた人が、やがて神の愛を有難いと感じる時がくる、そういう変化が起きるのも人生でしょう。ルカ福
イエス・キリストはヨハネ黙示録1章17節で次のように言っておられます。恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。キリストは歴史の初めに立ち、終りにも立たれます。私たちの一生もこの方の導きと配慮の中にあります。この方の御手からもれる日は一日もありません。主イエスこそが私
ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子先生が昨年12月30日召天されました。享年89才。数年前からすい臓がんを患い、闘病しつつ9月30日まで教壇に立ち続けられました。昨年3月発行の『文芸春秋』に「二・二六事件―娘の八十年」が掲載されました。青年将校の銃弾に斃れた教育総監渡辺錠太郎氏はお父様。わずか
マタイの降誕物語には東方の博士たちが登場しますが、ルカでは羊飼いたちが登場します。当時羊飼いたちの社会的評価は低いものでした。夜も家を離れて野原にいるので妻子を守ることができません。しばしば彼らの羊は他人の土地の草を食べるため盗賊扱いされました。しかし彼らは家に残している家族を想い神に祈り、危険や苦
「教会暦」によると、待降節(アドヴェント)は11月30日に一番近い主日から12月24日までとなっています。単なる行事としてではなく信仰をもって心の備えをするために備えられた準備の期間なのです。ある聖書学者が次のように記しています。世俗主義と現代的生活の圧力は、大多数のキリスト教徒の生活におい
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と主イエス・キリストは言われました。教会の主はキリスト、この時代に教会を建てることは主の聖なるご意志なのです。フィリップ・ヤンシーの『教会―なぜそれほどまでに大切なのか』を読みました。著者は教会について〈上を見〉〈周囲を見〉〈内を見る〉ことを学んだと言
福音宣教者パウロはこう言っています。神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(第Ⅰコリント1:21)「宣教という愚かな手段」、これはパウロの実感だったのでしょう。心を込めて一生懸命語ったのに理解されないことが度々あった。神ご自身がなさればもっと簡単に、しかも
哲学者アリストテレスは「すぐに古びてしまうものは何かと問われて、それは感謝だ」と答えたそうです。私たちの食卓には毎日食べきれない程の食事が並びます。しかし私たちはどれくらい感謝しているでしょうか。戦中戦後は日本中が空腹だったのです。暮らしの手帳社が出した『戦争中の暮らしの記録』を読むと、食べることが