12月22日のみことば

「『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った」(ルカ2:14~15)

天の大軍の讃美は羊飼いたちの魂を震わせました。神がくださった救い主をどうしても見たいと思いました。救い主にお会いする、それは明日に延ばして良いことではないのです。今日の課題なのです。天使の賛美の歌声に押し出されるよう彼らは立ち上がったのです。互いを促すように力強く言ったのです。「さあ、ベツレヘムへ…」。(下の写真はベツレヘム生誕教会/ネットより)

12月21日のみことば

「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:12)

当時の世界が貧しかったとは言え、さすがにそんな乳飲み子はいなかったでしょう。しかしこれこそ真の救い主の「しるし」なのです。同時に象徴的な意味もあります。「布と飼い葉桶」は旧約聖書を意味しているのです。「ここにあなたは産着と飼い葉桶をみつけるだろう。キリストがその中におられる。そこへ行けと天使も羊飼いたちに命じる。それは貧しい優しい産着だ。しかし、その中にかけがえのない宝がある。キリストがその中におられる」(ルター)。

12月20日のみことば

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(ルカ2:8~9)

ルカ福音書で、神の子キリストの誕生を最初に知らされたのは、ベツレヘムの羊飼いたちでした。なぜ彼らが選ばれたのでしょうか。神の救いの光は最も低いところにいる人々にこそ届くからです。ローマ皇帝の救いは決して届きません。マリアが賛歌で歌ったように、「権力ある者をその座から引き下ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良いもので満たされる」のが神なのです(ルカ1:52~53)。

12月17日のみことば

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」(マタイ1:18)

イエス・キリストの誕生物語について記しているのはマタイ福音書とルカ福音書です。どちらも紀元80年代に記されたものです。マタイはヨセフへの御告げと東方の博士たちの来訪を記し、ルカはマリアへの御告げと羊飼いたちの来訪を記しています。両者はお互いに執筆内容を分担したのではなく、各々の視点から福音として伝えたい事柄を責任をもって書き記したのでした。そのおかげで私たちはキリストの誕生が告げる豊かな内容を深く知ることができたのです。感謝して聖書のメッセージを聞きたいと思います。

(スターリングラードの戦いにおいて塹壕の中でクリスマスを祝ったドイツの将兵のために従軍医師クルト・ロイバーが描いた「塹壕のマドンナ」1942)

12月15日のみことば

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2:10~11)

神学者バルトは『降誕』の中で問うています。「『今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった』という音信を、私たちは聞いていたかどうか。この使信を十分に聞いていなかったことを、恥じなくてもよい者が、一人でもあるであろうか」。今年の待降節、私たちは神の御子の誕生という恵みの事実を真剣に受け止めたいと思います。

12月14日のみことば

「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」(ルカ1:51~52)

今日も「マリアの賛歌」の一節。ローマ帝国の絶大な権力を前にして一人の若い女性が歌うのです。思いあがるローマ皇帝と兵士たちが打ち散らされ、権力あるヘロデ大王がその王座から引き降ろされる、神がそれをなさると彼女は確信しているのです。信仰に立つ故の抵抗です。それは今の世界に当てはめると、ガザに住む一人の若い女性が、いずれ権力の座から引き降ろされるネタニヤフについて語るようなものでしょう。

(山でもらった蔦でクリスマスリースを作り、花屋さんでヒイラギなどを買い求めて作ってみました)

12月13日のみことば

「身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう」(ルカ1:48)

「マリアの賛歌」の一節です。当時は「ローマの平和」と言われた時代です。しかしその平和はいつも社会の上層部にいる者たちのものであり、下層の人々には光は届きませんでした。しかしルカ福音書が告げている神は、社会的に低い階層の人々に徹底して心を留める方なのです。神は「身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たす」方です。本当の救いは真実の神から訪れるのです。

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