1月15日のみことば

「どうして顔を伏せるのか」(創世記4:6)

アダムとエバの子はカインとアベル、カインは農耕者に、アベルは牧羊者になりました。ある日アベルの献げた羊の初子を神は喜ばれ、カインの献げたの農作物は喜ばれませんでした。カインは激しく怒って顔を伏せました。どうして神は…?いろいろ想像できますが、はっきりしていることは、そこには神の目から見て決して喜べないものがあったということです。神は私たちの心の内にあるものをご覧になるのです。

1月16日のみことば

「カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ(創世記4:16)

弟アベルを殺害したカインが住んだ場所の名はなんと象徴的なことでしょうか。「ノドの地」その意味は「さすらいの地」です。神の愛から去るなら、そこは決して安住の地ではなく、さすらいの地、真の幸福を求めてさすらい続けるのです。主イエス・キリストは「わたしの愛のうちにいなさい」と言われました。そここそが私たちの正しい居場所なのです。

1月14日のみことば

「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開けて神のようになることを神はご存じなのだ」(創世記3:4)

「死ぬことはない」「神のようになる」、なんと魅力的な言葉でしょうか。サタンはこの言葉でアダムとエバを誘惑したのです。人間が限りある知恵と命を頂いている存在であることを自覚して生きる、それこそ人間としての気品だと思います。

1月15日のみことば

「どうして顔を伏せるのか」(創世記4:6)

アダムとエバの子はカインとアベル、カインは農耕者に、アベルは牧羊者になりました。ある日アベルの献げた羊の初子を神は喜ばれ、カインの献げたの農作物は喜ばれませんでした。カインは激しく怒って顔を伏せました。どうして神は…?いろいろ想像できますが、はっきりしていることは、そこには神の目から見て決して喜べないものがあったということです。神は私たちの心の内にあるものをご覧になるのです。

1月13日のみことば

「どこにいるのか」(創世記3:9)

アダムとエバはサタンに誘惑され、神の戒めを無視し、善悪を知る木の実を取って食べました。その時彼らが知ったのは自分の弱さでした。神を恐れて姿を隠した彼らに、神は「どこにいるのか」と問われます。この問いは居場所の問題ではなく、神との関係を問う言葉です。「あなたは今、私と正しい、祝福に満ちた関係にあるか?」。

1月14日のみことば

「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開けて神のようになることを神はご存じなのだ」(創世記3:4)

「死ぬことはない」「神のようになる」、なんと魅力的な言葉でしょうか。サタンはこの言葉でアダムとエバを誘惑したのです。人間が限りある知恵と命を頂いている存在であることを自覚して生きる、それこそ人間としての気品だと思います。

1月⒓日のみことば

「彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2:18)

創世記2章にはアダムとエバの創造物語が記されています。男女の関係は支配や対立の関係ではなく、互いを「助ける者」として造られているのです。相手を助けるところに本当の喜びがあり、また助けられるところに大きな幸せがあります。

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