10月4日のみことば

「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。主は彼らに代わって争わわれるであろう」(箴言22:22~23)

神は常に弱者の味方です。強い立場にある人は弱い人の気持ちに鈍感であり、気づいても面倒さのゆえに気づかぬふりをします。日本国際飢餓対策機構によれば、世界の人口は70億人、そのうちの7人に1人、10億人が飢餓に苦しんでおり、アフリカでは3人に1人が栄養不良とのこと。神学生の頃、ギャロット夫人のお宅を訪問しました。自宅の冷蔵庫には飢餓に苦しんでいる子どもの新聞写真の切り抜きが貼ってあり、冷蔵庫を開ける度に祈りを捧げるとのことでした。見習うべき姿勢だと思いました。

10月5日のみことば

「怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。彼らの道に親しんで/あなたの魂を罠に落としてはならない」(箴言22:24-25)

感情にまかせて考えもなく口から言葉を出してしまうこと、急いで非難すること、慌てて態度を決定することは、重要な仕事をする人にとっては危険であると、ある聖書注解者は説明します。トルストイは「怒りは他人にとって有害であるが、憤怒にかられている当人にとってはもっと有害」と言い、シェイクスピアは「怒る者は隙だらけ」と言います。そして何よりも主イエス・キリストは「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:5)と言われます。

10月3日のみことば

「怠け者は言う。『外には獅子がいる。町に出ればわたしは殺される』」(箴言22:13)

怠け者は仕事や義務から逃れるために様々な口実や弁解を言いますが、知恵の教師は勤勉であることの大切さを教えます。箴言19:15「怠惰は人を深い眠りに落とす。怠けていれば飢える」、10:4「勤勉な人の手は富をもたらす」。そして礼拝は私たちの心に安息と力と希望を与え、週日の勤勉さを支え、豊かな実りをもたらす源泉なのです。

10月4日のみことば

「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。主は彼らに代わって争わわれるであろう」(箴言22:22~23)

神は常に弱者の味方です。強い立場にある人は弱い人の気持ちに鈍感であり、気づいても面倒さのゆえに気づかぬふりをします。日本国際飢餓対策機構によれば、世界の人口は70億人、そのうちの7人に1人、10億人が飢餓に苦しんでおり、アフリカでは3人に1人が栄養不良とのこと。神学生の頃、ギャロット夫人のお宅を訪問しました。自宅の冷蔵庫には飢餓に苦しんでいる子どもの新聞写真の切り抜きが貼ってあり、冷蔵庫を開ける度に祈りを捧げるとのことでした。見習うべき姿勢だと思いました。

10月2日のみことば

「清い心を愛する人は唇に品位があり/王がその友となる」(箴言22:11)

「清い心」とは考えること、計画すること、その動機の全てが純粋であることです。「唇に品位があり」とは、愛のある言葉、親しみをこめた言葉、品位ある優美な言葉、皮肉とは対照的な言葉です。ドイツの諺に「悪口を言う奴は舌に、聞く者は耳に、悪魔が宿っている」とあり、パンセは「互いにけなし合っていることを皆が知ったら、この世に四人と友人はできまい」と言っています。心と心をつなぎ合わす言葉を今日も私たちの唇に!

10月3日のみことば

「怠け者は言う。『外には獅子がいる。町に出ればわたしは殺される』」(箴言22:13)

怠け者は仕事や義務から逃れるために様々な口実や弁解を言いますが、知恵の教師は勤勉であることの大切さを教えます。箴言19:15「怠惰は人を深い眠りに落とす。怠けていれば飢える」、10:4「勤勉な人の手は富をもたらす」。そして礼拝は私たちの心に安息と力と希望を与え、週日の勤勉さを支え、豊かな実りをもたらす源泉なのです。

10月1日のみことば

「不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ」(箴言22:10)

ある神学者の注釈「共同体の中から傲慢や大言壮語が消える時、多くの人は安堵する。罵倒やいやみ、いがみ合いが終わる時、人は再び価値ある仕事を始めるようになる。不一致と不和は…間違った態度、害をもたらす〈人〉から起こる。」使徒パウロはしばしば「主において同じ思いを抱きなさい」(フィリピ4:2、1:27、2:2)と訴えています。それこそ主イエス・キリストに結ばれ、その愛に生きている私たちのあるべき姿です。

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