9月13日のみことば

「人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中を測られる」(箴言21:2)

自己を批判することは難しいです。私たちは非常にしばしば自己正当化しがちです。しかし他者が見れば正しいとは思えないことがしばしば、神がご覧になればなおさら。道路に「高中40」と書いてあったそうです。そこを60キロのスピードで走っている50ccバイク。白バイ警官に停車を命じられた、「ここは高速車でも中速車でも最高40キロですよ」。すると「あれ~、そうだったんですか。私はまた40メートル先に高校と中学があるという標識かと思ってました!」。「?!」。もちろん罰金を徴収されたとか。

9月14日のみことば

「神に従い正義を行うことは/いけにえをささげるよりも主に喜ばれる」(箴言21:3)。

形式的で見せかけの信仰を神は喜ばれません。神を心から愛し、喜んで礼拝し、神の御心に忠実に従い、隣人に対し心を込めて真実と愛を行う人を喜ばれます。それは神の意に適うものであり、神の前に価値あるものなのです。だから豊かに祝福されます。

9月⒓日のみことば

「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」(箴言20:29)

敬老の日も近づいています。この言葉をお互いの心に留めたいものです。しばしば「健全な肉体に健全な精神が宿る」と言われますが、これは古代ローマの詩人ユウェナリスという人の言葉の都合のいい引用に過ぎません。彼は「健全な精神が健全な肉体に宿りますようにと祈るべきである」と言ったのです。つまり健全な精神と肉体は祈りの課題であり、そうでない場合もあり得るのです。年齢を重ねて体のあちこちに不都合が生じた場合、それでも「私は神に愛されている!」と事実を忘れないようにしたいと思っています。

9月13日のみことば

「人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中を測られる」(箴言21:2)

自己を批判することは難しいです。私たちは非常にしばしば自己正当化しがちです。しかし他者が見れば正しいとは思えないことがしばしば、神がご覧になればなおさら。道路に「高中40」と書いてあったそうです。そこを60キロのスピードで走っている50ccバイク。白バイ警官に停車を命じられた、「ここは高速車でも中速車でも最高40キロですよ」。すると「あれ~、そうだったんですか。私はまた40メートル先に高校と中学があるという標識かと思ってました!」。「?!」。もちろん罰金を徴収されたとか。

8月11日のみことば

「慈しみとまことは王を守る。王座は慈しみによって保たれる」(箴言20:28)

権力の座にある者は自分をその職に任じた至高者なる神を常に覚え、国民一人ひとりに対し友愛と真実の心を持つべきです。国民の8割が説明不十分と感じている法案を何がなんでも通過させようとする、これは正しいことでしょうか。アメリカの声はよく聞こえるのに、沖縄の多数の声は聞こえない、これは正しいことでしょうか。総理、よくよくお考えください。私たちキリスト者は国家のために祈り行動します。

9月⒓日のみことば

「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」(箴言20:29)

敬老の日も近づいています。この言葉をお互いの心に留めたいものです。しばしば「健全な肉体に健全な精神が宿る」と言われますが、これは古代ローマの詩人ユウェナリスという人の言葉の都合のいい引用に過ぎません。彼は「健全な精神が健全な肉体に宿りますようにと祈るべきである」と言ったのです。つまり健全な精神と肉体は祈りの課題であり、そうでない場合もあり得るのです。年齢を重ねて体のあちこちに不都合が生じた場合、それでも「私は神に愛されている!」と事実を忘れないようにしたいと思っています。

9月10日のみことば

「人の一歩一歩を定めるのは主である」(箴言20:24)

私たちは自分の将来についてあれこれと計画します。それは無計画よりはるかに優れています。しかし私の人生について私の計画よりも優れた計画を神は持っておられることを覚えたいものです。同じ箴言に類似の言葉があります。「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19:21)。神に導かれる歩みには常に明るい期待があります。

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