9月6日のみことば

「秘密をばらす者、中傷し歩く者/軽々しく唇を開く者とは、交わるな」(箴言20:19)

中傷についての警告は箴言には多いです。「悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく」(箴言11:13)。数人が集って誰かのうわさ話をするとします。次はそのメンバーの誰かがうわさ話のターゲットにされていることでしょう。また大江健三郎氏は「うわさへの抵抗力」ということを言っています。「事実と無関係に、悪意と軽薄さが『うわさ』の運動のエネルギーになっているからです。そこで私は、皆さん方に『うわさ』への抵抗力を強くしてもらいたい、と思います」。

9月7日のみことば

「父母を呪う者/彼の灯は闇のただ中で消える」(箴言20:20)
「灯火」とは生命の象徴です。ランプの灯が消えるとは命の息が衰え、呼吸が止まること、つまり死です。父母を敬わないことは、両親を与えたのは神に対する神に対する重大な罪となり、神はこのような罪を放置なさらないのです。諺にも「父母の名を誇りに思わない者の上に、太陽が輝くことがないように」とあります。敬老の日が近づいています。改めて神と親に感謝したいと思います。「『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です」(エフェソ6:1~4)。

9月5日のみことば

「計画は助言を得て立てよ/戦争は指揮力を整えて始めよ」(箴言20:18)

戦争が日常だった当時、威勢の発言をする者は有能に見えたかもしれません。しかし真に知恵ある者は、果たしてこの戦争に正義はあるか、十分な準備はあるか、それよりも闘わずに隣国との良い関係を維持する方法はないのか…を熟慮したことでしょう。かつて経済封鎖され資源を求めて東南アジアに軍を進めた日本、そして大企業の発言「極端にいいますれば、向こうから取ってきた資源は、対価を払わなくてもよろしい。タダで取る。いわゆる出世証明のような方法で、支払いは百年先でもよろしいというふうに私は思うのであります」。そこには何らの正義もありません。

9月6日のみことば

「秘密をばらす者、中傷し歩く者/軽々しく唇を開く者とは、交わるな」(箴言20:19)

中傷についての警告は箴言には多いです。「悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく」(箴言11:13)。数人が集って誰かのうわさ話をするとします。次はそのメンバーの誰かがうわさ話のターゲットにされていることでしょう。また大江健三郎氏は「うわさへの抵抗力」ということを言っています。「事実と無関係に、悪意と軽薄さが『うわさ』の運動のエネルギーになっているからです。そこで私は、皆さん方に『うわさ』への抵抗力を強くしてもらいたい、と思います」。

9月4日のみことば

「欺き取ったパンはうまいが/後になって口は砂利で満たされる」(箴言20:17)

「パン」とは、食物のみではなく物質的な利益や悪行による満足などを象徴しています。ある注解者はこの箴言に「罪の後味」という見出しをつけています。正当な働きによらないで得た大きな利益、最初は「うまくいった」「大儲けだ」と思うかもしれませんが、後になるとそれが不幸の始まり、災いの源ということになるのです。やはり真の幸福や満足は、額に汗して得たものによって感謝して生きることにあるようです。

9月5日のみことば

「計画は助言を得て立てよ/戦争は指揮力を整えて始めよ」(箴言20:18)

戦争が日常だった当時、威勢の発言をする者は有能に見えたかもしれません。しかし真に知恵ある者は、果たしてこの戦争に正義はあるか、十分な準備はあるか、それよりも闘わずに隣国との良い関係を維持する方法はないのか…を熟慮したことでしょう。かつて経済封鎖され資源を求めて東南アジアに軍を進めた日本、そして大企業の発言「極端にいいますれば、向こうから取ってきた資源は、対価を払わなくてもよろしい。タダで取る。いわゆる出世証明のような方法で、支払いは百年先でもよろしいというふうに私は思うのであります」。そこには何らの正義もありません。

9月3日のみことば

「眠りを愛するな、貧しくならぬために。目を見開いていれば、パンに飽き足りる。」(箴言20:13)

必要な睡眠と怠惰な睡眠があります。知恵の教師は惰眠を警告しているのです。熟睡するためにはどうすればいいでしょうか。私は、その日一日の働きを思い出し、恵みに対しては感謝を、反省すべき点に関しては悔い改めを、そして明日担うべき課題については導きを祈ってから眠りにつくようにしています。すると深い眠りが与えられ、朝は新しい力に充満して目覚め、今日一日を喜びに満ちて始めることができるようです。

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