8月20日のみことば

「人は無知によって自分の道を滅ぼす。しかも主に対して心に憤りをもつ」(箴言19:3)

「心に憤りを持つ」とは「うらむ」「憎悪を向ける」「激しく怒る」などを意味します。自分のせいで目標を達成できないのに、しばしばその責任を人や神に転嫁するのです。「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う」(イザヤ8:21)。キリスト者も時々このようなことをしでかします。祈りと聖書に基づく熟慮を欠き、自分の軽率な判断が失敗の原因なのに、一切を神のせいにし八つ当たり。「私のせいなのか?」と神はおっしゃるのでは?

8月18日のみことば

「友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(箴言18:24)

箴言には友に関する言葉がよく出てきます。箴言17:17には「どのようなときにも、友を愛すれば/苦難のときの兄弟が生まれる」とあります。正典ではありませんが、外典にも友に関する言葉がいろいろあります。シラ書9:10「古くからの友人をなおざりにするな。彼は、新しい友人に、はるかにまさる。新しい友は、新しいぶどう酒。古くなるほど、味わい深く飲めるのだ」、シラ書7:18「金のために友を裏切るな」、シラ書12:8「幸福なときには、真の友を見分けられない。不幸なときには、だれが敵かはっきりする」。困難な状況の中であなたと一緒に労苦し、重荷を分かち合う人こと真の友。

8月19日のみことば

「あまり足を急がせると過ちを犯す」(箴言19:2)

これはせっかちな行動を戒めています。知恵ある者はむしろ落ちついた足取りで注意深く前進します。元インドネシアの宣教師だった浅見祐三先生が知り合いに仕事を頼んだ時、彼は大急ぎでそれを片付けたが、とてもくたびれたそうです。そこで彼が語った一言は「魂を置き忘れた」。意味深い言葉ですね。元西南学院高等学校の校長だった坪井正之先生から私が学んだ牧会の極意は「ゆっくりていねいに」。

8月17日のみことば

「死も生も舌の力に支配される」(箴言18:21)

人はその発言の責任を負い、その言葉の結果を引き受けねばなりません。政治家の失言問題はいつものことですが、国政を託された者は熟慮して発言し、語った言葉に対しては言い逃れをせず責任を取るべきです。「ドイツではある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかねえ」と語る政治家は国民をばかにしていると思います。「戦後70年談話」を公にした現総理、国民はその言葉が確実に実行されるかどうか注目しています。

8月18日のみことば

「友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(箴言18:24)

箴言には友に関する言葉がよく出てきます。箴言17:17には「どのようなときにも、友を愛すれば/苦難のときの兄弟が生まれる」とあります。正典ではありませんが、外典にも友に関する言葉がいろいろあります。シラ書9:10「古くからの友人をなおざりにするな。彼は、新しい友人に、はるかにまさる。新しい友は、新しいぶどう酒。古くなるほど、味わい深く飲めるのだ」、シラ書7:18「金のために友を裏切るな」、シラ書12:8「幸福なときには、真の友を見分けられない。不幸なときには、だれが敵かはっきりする」。困難な状況の中であなたと一緒に労苦し、重荷を分かち合う人こと真の友。

8月16日のみことば

「怠け者の道は茨にふさがれる。正しい人の道は開かれている。」(箴言15:19)

怠け者は人生のいたるところで障害物に出会い、前進できないと思い込みます。彼には茨の生えている小道を進むように感じられるのです。しかし正しい人の道はどうでしょうか? 「開かれている」と言います。正しい人のためには多くの人が力を貸してくれるので、一見ふさがっているように思える時に道は開かれていくし、その道はとても歩きやすいのです。しかし決定的に重要なことは、神が彼のために、道はないと思える所にさえ進むべき道を拓かれるということです。モーセと民のために紅海の中に一本の確かな道を拓かれたように。

8月17日のみことば

「死も生も舌の力に支配される」(箴言18:21)

人はその発言の責任を負い、その言葉の結果を引き受けねばなりません。政治家の失言問題はいつものことですが、国政を託された者は熟慮して発言し、語った言葉に対しては言い逃れをせず責任を取るべきです。「ドイツではある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかねえ」と語る政治家は国民をばかにしていると思います。「戦後70年談話」を公にした現総理、国民はその言葉が確実に実行されるかどうか注目しています。

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