7月29日のみことば

「友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い。」(箴言14:21)

以前大阪で悲しいニュースがありました。母子と見られる2人の遺体が見つかり、マンションの部屋から「もっとおいしい食事をさせてあげたかった」とのメモがありました。部屋には冷蔵庫はなく、食塩がわずかにあっただけで、女性の胃には内容物は残っていませんでした。女性の口座には残金はほとんどなく、電気やガスも止まっていました。母親28歳、息子3歳。貧しい人を心に留めることこそ国家の務めです。新国立競技場に際限なくお金を出すことではない。そして神を信じる私たちの聖なる務めでもあります。

7月27日のみことば

「短気な者は愚かなことをする。陰謀家は憎まれる。」(箴言14:17)

短気で、怒りっぽく、熟慮することなしに行動を起す、これほど危険なことはありません。諺にも「堪忍五両思案十両」(我慢すれば五両分くらいの得になるし、その上に物事の道理を考えて行動すれば十両分くらいの得がある)と言うではありませんか。陰謀もよくありません。心の中で悪意を耕し、秘かに策略を練っている陰謀家、人々はそのような人を決して信頼しないでしょう。これまで何度も彼らの罠に陥ったのですから。しかし何よりも陰謀家は知るべきです、神がその一切を完全にご存じであるということを。

7月28日のみことば

「浅はかな者は無知を嗣業とし/熟慮ある人は知識をその冠とする。」(箴言14:18)

愚かな人は未熟な振る舞いをし、間違ったことを平気で口にし、軽率でお粗末な決定を下しがちです。そのことは長く悪い結果を家族や共同体にもたらすことになります。『宮本武蔵』の原作者吉川栄治は小説家になる前、川柳家だったそうですが、次の句は彼の作です。「この先を考えている豆の蔓」。私はキュウリとゴーヤを植えていますが、あの細い蔓が進むべき道を求めて熟慮しているように見えます。目下参議院で安保法案審議中、熟慮を切に求めます。

7月26日のみことば

「未熟な者は何事も信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする。(箴言14:15)

未熟な人の特徴は、簡単にほかの人に影響されることです。噂に簡単に惑わされます。それが事実かどうかを確かめもしないで…。しかし知恵ある人は、無責任な噂や悪意ある中傷に惑わされません。彼は自分にとって価値あるものを冷静に吟味し、保持し、一歩一歩を確実に歩んでいきます。それこそ真に賢い人の歩み方です。ところで〈聖書〉はあなたにとって有益ですか。私にとっては生涯のよき道しるべです。Ⅱテモテ3:16~17。

7月27日のみことば

「短気な者は愚かなことをする。陰謀家は憎まれる。」(箴言14:17)

短気で、怒りっぽく、熟慮することなしに行動を起す、これほど危険なことはありません。諺にも「堪忍五両思案十両」(我慢すれば五両分くらいの得になるし、その上に物事の道理を考えて行動すれば十両分くらいの得がある)と言うではありませんか。陰謀もよくありません。心の中で悪意を耕し、秘かに策略を練っている陰謀家、人々はそのような人を決して信頼しないでしょう。これまで何度も彼らの罠に陥ったのですから。しかし何よりも陰謀家は知るべきです、神がその一切を完全にご存じであるということを。

7月25日のみことば

「二心ある者は自らの道に/善人は自らの業に飽かされる。」(箴言14:14)

「二心ある者」とはその場の都合で安易に立場や信念を変える者のこと。ある時は神を信じていると言い、都合が悪くなると神など無関係なように生きる人。隣人との関係でも同じで、受けた善意の数々など無関係にくるくると立場を変える人。そのような人はその時その場をうまく切り抜けているように見えるが、実は自分の道の結果を否応なく刈り取ることになります。「善人」とはどんな時にも神と人への誠実さを貫く人。彼は自分が歩いた道、自分がなした働き、神に祝福された大いなる結果を手に入れることになるのです。

7月26日のみことば

「未熟な者は何事も信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする。(箴言14:15)

未熟な人の特徴は、簡単にほかの人に影響されることです。噂に簡単に惑わされます。それが事実かどうかを確かめもしないで…。しかし知恵ある人は、無責任な噂や悪意ある中傷に惑わされません。彼は自分にとって価値あるものを冷静に吟味し、保持し、一歩一歩を確実に歩んでいきます。それこそ真に賢い人の歩み方です。ところで〈聖書〉はあなたにとって有益ですか。私にとっては生涯のよき道しるべです。Ⅱテモテ3:16~17。

TOP