7月23日のみことば

「笑っていても心の痛むことがあり/喜びが悲しみに終ることもある。」(箴言14:13)

見せかけの喜びと本当の喜びがあります。面白おかしく過ごしているようで、実は心の深みに大きな痛みや悲しみを隠している人もあります。〈見せかけの喜び〉です。〈本当の喜び〉は悲しみの中にあっても、心の底から静かに湧き起ってくる喜びであり、次第に大きくなり、やがて心全体に溢れます。主イエスは言われました。「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6:21)。今日も主があなたを本当の喜びで満たしてくださいますように。

7月25日のみことば

「二心ある者は自らの道に/善人は自らの業に飽かされる。」(箴言14:14)

「二心ある者」とはその場の都合で安易に立場や信念を変える者のこと。ある時は神を信じていると言い、都合が悪くなると神など無関係なように生きる人。隣人との関係でも同じで、受けた善意の数々など無関係にくるくると立場を変える人。そのような人はその時その場をうまく切り抜けているように見えるが、実は自分の道の結果を否応なく刈り取ることになります。「善人」とはどんな時にも神と人への誠実さを貫く人。彼は自分が歩いた道、自分がなした働き、神に祝福された大いなる結果を手に入れることになるのです。

7月23日のみことば

「人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。」(箴言14:12)

誰もが羨ましがる道が実は虚像であり、一見困難と思える道が実は大いなる祝福への道という場合もあります。主イエスは「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」(マタイ7:13~⒕)、また「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ⒕:5)と言われました。今日も主イエスが示してくださる命の道を力強く大胆に歩みましょう。

7月23日のみことば

「笑っていても心の痛むことがあり/喜びが悲しみに終ることもある。」(箴言14:13)

見せかけの喜びと本当の喜びがあります。面白おかしく過ごしているようで、実は心の深みに大きな痛みや悲しみを隠している人もあります。〈見せかけの喜び〉です。〈本当の喜び〉は悲しみの中にあっても、心の底から静かに湧き起ってくる喜びであり、次第に大きくなり、やがて心全体に溢れます。主イエスは言われました。「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6:21)。今日も主があなたを本当の喜びで満たしてくださいますように。

7月22日のみことば

「魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない。」(箴言14:10)

人は互いに知り合い、親友、心友、真友になります。相手の苦境に同情し、痛みに共感します。尊いことです。しかし完全に理解し尽くすことはできません。「あなたには私の気持ちは分からない!」。究極において人は孤独なのです。しかし私たちのこの深い孤独をキリストは知ってくださるのです。黒人霊歌「誰にもいえない心の中もイエス様はご存知だ、グローリハレルヤ」。苦しみも喜びも知っておられるのです。

7月23日のみことば

「人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。」(箴言14:12)

誰もが羨ましがる道が実は虚像であり、一見困難と思える道が実は大いなる祝福への道という場合もあります。主イエスは「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」(マタイ7:13~⒕)、また「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ⒕:5)と言われました。今日も主イエスが示してくださる命の道を力強く大胆に歩みましょう。

7月21日のみことば

「無知な者は不遜で互いをなじる。正しい人は互いに受け入れる。」(箴言14:9)

あらゆる方法で相手をなじり、憎み、悪口や中傷を言い、欺き、邪魔するような人に出会うと、ものすごく悲しくなりますね。こういう人は案外多いのです。こういう話は要注意です。反対に、知恵の教師は「正しい人は互いを受け入れる」と言います。自分の至らなさを知っている人は相手の至らなさも許容するのです。そして互いに知恵と力を合わせようとするのです。だから働きは良い実を豊かに結ぶことになります。「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。」(箴言10:12)。

 

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