6月9日のみことば
「神に従う人は苦難に陥っても助け出される」(箴言11:8)
私たちはみんな四苦八苦しながら生きています。問題はそうなった時に、助け出してくれる人を持っているかどうかです。旧約聖書のコヘレトの言葉に「「彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。」とあります。私には助け起こしてくれる友が何人かいるのでありがたいです。しかし決定的に感謝なことは、神が私たちを苦難の中から助け出してくださるという約束です。
6月10日のみことば
「神に従う人が幸いを得れば町は喜ぶ」(箴言11:10)
信仰者と彼の家庭、信仰者と彼の住む町の間には密接な関係があります。山に降った雨が山に蓄えられ、地下水となり、泉となり、小川となり、やがて大きな川になって農村や町を豊かに潤します。それと同じように神に従う人に神がお与えになる祝福は、その人ひとりに留まらず、彼の家庭に、職場に、学校、町に祝福をもたらすことになるというのです。私たちはたった一人の信仰者かもしれませんが、大きな祝福の基なのです。
6月8日のみことば
「神に逆らう者は力に望みをかけ、期待しても/死ねばそれも失われる。」(箴言11:7)
私たちは何に望みをかけているでしょうか。自分の知恵と力? しかし知恵の教師は神の知恵と力こそ私たちの希望の源だと言うのです。使徒パウロも「(神が与える)希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と言っています。
6月9日のみことば
「神に従う人は苦難に陥っても助け出される」(箴言11:8)
私たちはみんな四苦八苦しながら生きています。問題はそうなった時に、助け出してくれる人を持っているかどうかです。旧約聖書のコヘレトの言葉に「「彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。」とあります。私には助け起こしてくれる友が何人かいるのでありがたいです。しかし決定的に感謝なことは、神が私たちを苦難の中から助け出してくださるという約束です。
6月7日のみことば
「怒りの日には、富は頼りにならない。慈善は死から救う。」(箴言11:4)
富というものは有益です。しかし万能ではありません。「地獄の沙汰も金次第」と言います。英語でもMoney is the best lawyer.(金は最も優れた弁護士だ)。しかし神の審判の日に富は果たして力を発揮するでしょうか。知恵の教師は「慈善は死から救う」と言います。神が真に価値あるものとしてご覧になるのは信仰と愛です。「信仰がなくては神に喜ばれることはできない」(へブル11:6/口語訳)。また愛がなくては神に喜ばれません。
6月8日のみことば
「神に逆らう者は力に望みをかけ、期待しても/死ねばそれも失われる。」(箴言11:7)
私たちは何に望みをかけているでしょうか。自分の知恵と力? しかし知恵の教師は神の知恵と力こそ私たちの希望の源だと言うのです。使徒パウロも「(神が与える)希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と言っています。
6月6日のみことば
「主を畏れれば長寿を得る」(箴言10:27)
長寿だけが幸福とは言えません。誰からも顧みられず、愛されず、邪魔者扱いにされながら生きるのは50年であっても辛いに違いありません。短くても幸せな生涯もあります。わが家の愛犬レイが交通事故で死んだ時、動物病院のM先生は子どもたちに「レイちゃんはかわいそうだった。でも君たちみんなに愛されて生きたレイちゃんは幸せだったと思うよ」と丁寧に話してくださいました。子どもたちは慰められました。神が与えてくださる長寿、それは神に愛され、家族にも愛され、友人にも愛される人生のことだと思います。神は今日もあなたを心底愛しておられます。