5月11日のみことば

「御もとにあって、わたしは巧みな者となり、日々主を楽しませる者となって、絶えず主の御前で楽を奏し、主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し、人の子らと共に楽しむ」(箴言8:30~31)

ここでも「わたし」は知恵のこと。しかし端的に御子イエス・キリストと考えてもいいかもしれません。御子イエス・キリストは「巧みな者」、つまり優れた建築家のようです。私たちは彼の指図のもと神の共同体を建築しているのです。また御子イエス・キリストは優れた指揮者のようでもあります。私たちは彼の指揮のもとそれぞれ能力という楽器を奏し、美しいハーモニーを神に捧げます。キリストと共になす私たちの働きは、実は「日々神を楽しませる」というのです。今日も神の喜び給う働きに心を込めて当たりたいですね。

5月12日のみことば

「諭しに聞き従って知恵を得よ。なおざりにしてはならない」(箴言8:33)

「なおざり」とは「いいかげんにしておくこと。本気でないさま。おろそか」。私たちは案外大切なものをなおざりにしていることが多いようです。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」(伝道の書12:1)。「神のことは高齢者になってから考えます」という人もいますが、神を知るのは「あなたの若い日」の課題なのです。そう言うと「わたしはもう若くない」と嘆く人がいるかもしれません。渡辺和子先生は「これまで生きてきた日を考えれば、今日は一番年寄り。でもこれから生きる日を考えれば、今日は一番若い日!」と言われました。今日は私たちが共に神の愛に思いをはせる日なのです。

5月10日のみことば

「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先だって。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って」(箴言8:22~23)

「主」とは天地の創造者にして支配者である神のこと、「わたし」とは知恵のこと。神は一切のものの創造に先立って知恵をお造りになったと言い、知恵の神的な起源を告げています。実は知恵には2つあります。人間に源を発する知恵、神に源を発する知恵。私たちが学び、身につけ、従うべきは後者です。そこに真の平安と祝福があるのです。

5月11日のみことば

「御もとにあって、わたしは巧みな者となり、日々主を楽しませる者となって、絶えず主の御前で楽を奏し、主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し、人の子らと共に楽しむ」(箴言8:30~31)

ここでも「わたし」は知恵のこと。しかし端的に御子イエス・キリストと考えてもいいかもしれません。御子イエス・キリストは「巧みな者」、つまり優れた建築家のようです。私たちは彼の指図のもと神の共同体を建築しているのです。また御子イエス・キリストは優れた指揮者のようでもあります。私たちは彼の指揮のもとそれぞれ能力という楽器を奏し、美しいハーモニーを神に捧げます。キリストと共になす私たちの働きは、実は「日々神を楽しませる」というのです。今日も神の喜び給う働きに心を込めて当たりたいですね。

5月9日のみことば

「わたしを愛する人は嗣業を得る。わたしは彼らの倉を満たす」(箴言8:21)

「わたし」とは神からの知恵のこと。知恵を愛する人、喜んで耳を傾ける人、知恵に従って生きることを選び取る人は、「嗣業を得る」とあります。「嗣業」という言葉は日本語の辞書には出てきませんが、その意味は、神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物などのことです。彼らの倉は神からの恵みであふれるばかりに満たされるというのです。神は私たちにもそうしようとしておられます。

5月10日のみことば

「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先だって。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って」(箴言8:22~23)

「主」とは天地の創造者にして支配者である神のこと、「わたし」とは知恵のこと。神は一切のものの創造に先立って知恵をお造りになったと言い、知恵の神的な起源を告げています。実は知恵には2つあります。人間に源を発する知恵、神に源を発する知恵。私たちが学び、身につけ、従うべきは後者です。そこに真の平安と祝福があるのです。

5月8日のみことば

「慈善の道をわたしは歩き、正義の道をわたしは進む」(箴言8:20)

神はどのような生き方を望まれるのでしょうか。「慈善の道」と「正義の道」。慈善とは恵まれない人々や被害にあった人々に経済的な援助をすること。「正義」とは人の道にかなっていて正しいこと。人を裏切り、善意に対し悪意を返し、徒党を組み、人をさらなる苦しみに陥れようと企てることは、神の示される正義の道から遠く迷い出ていると知るべきです。その道に祝福はありません。知恵の教師は、私たちが今日も神に信頼し、慈善の道、正義の道、祝福の道を力強く歩むよう励ましています。

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