2月15日のみことば

神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。(詩編1:6)

「知っている」とは「責任を持つ」ということです。神はご自分に従う人を知っておられ、その進む道を責任をもって導き、祝福をお与えになります。岩波訳では、「不法者らの道は〔おのずと〕滅びる」となっています。神が手を下されるまでもなくおのずと衰退してしまうというのです。神があなたの一週間に溢れる恵みをお与えくださいますように!

2月16日のみことば

主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来たれば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(詩編1:2~3)

しおれてしまわない人生、実を豊かに結ぶ人生、ますます栄える人生、それこそ私たちの願いです。そのために必要なことは「主の教を愛し、その教を昼も夜も口ずさむ」こと。これは実行してみる価値があります。毎日御言葉を頂き、それを仕事の始めに、仕事の合間に、仕事の終わりに口ずさんでみましょう。御言葉に挟まれた働き、それは神の祝福に挟まれている働きです。

2月14日のみことば

「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。天を玉座とする方は笑い・・・。(詩編2:3~4)

枷や縄とは奴隷の象徴です。信仰とは奴隷のような束縛された生活ではありません。信仰の本質は自由さにあります。よく考えてみましょう。神を知らなかった当時、私たちは実に様々なものの虜になっていました。しかし愛と恵みの神を知った時、私たちは背筋ものびのびするような新鮮な喜びを経験をしたのではなかっただろうか。

2月15日のみことば

神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。(詩編1:6)

「知っている」とは「責任を持つ」ということです。神はご自分に従う人を知っておられ、その進む道を責任をもって導き、祝福をお与えになります。岩波訳では、「不法者らの道は〔おのずと〕滅びる」となっています。神が手を下されるまでもなくおのずと衰退してしまうというのです。神があなたの一週間に溢れる恵みをお与えくださいますように!

2月13日のみことば

主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子」(詩編2:7)

主イエスがヨルダン川でバプテスマを受けられた時、また変貌の山に登られた時、この言葉が聞こえました(マタイ3:17、17:5)。主イエスは父なる神の独り子です。しかし主イエスは私たちもこの交わりに入れてくださり、私たちをも神の子としてくださったのです。「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」(Ⅰヨハネ3:1口語訳)。今日何度も心の中で「わたしは神の子、神に愛されている」と言ってみましょう。自然と大きな喜びが湧き上がってくるにちがいありません。

2月14日のみことば

「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。天を玉座とする方は笑い・・・。(詩編2:3~4)

枷や縄とは奴隷の象徴です。信仰とは奴隷のような束縛された生活ではありません。信仰の本質は自由さにあります。よく考えてみましょう。神を知らなかった当時、私たちは実に様々なものの虜になっていました。しかし愛と恵みの神を知った時、私たちは背筋ものびのびするような新鮮な喜びを経験をしたのではなかっただろうか。

2月12日のみことば

求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。(詩編2:8)

神は「求めよ」と言われます。そうすれば「国々」「地の果てまで」、つまり想像もできないほど豊かな恵みが与えられると言うのです。主イエスも言われました、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)。私たちはもっと求めるべきなのです。求めない信仰者は恵みを経験しません。恵みを経験したことのない信仰者には確信がありません。今日から神の大いなる祝福を求めて始めましょう。

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