1月25日のみことば

(主よ)あなたは必ず御覧になって、御手に労苦と悩みをゆだねる人を、顧みてくださいます。(詩編10:14)

毎日生活をしていれば、万事がうまくいくとは限りません。悩みはゼロにはなりません。しかし感謝すべきことは、その労苦や悩みを引き受けてくださる方を私たちは知っているということです。「私に任せなさい。悪いようにはしない」と神は言われます。だから神の御手にすべてをお委ねし、自分にできることを始めればいいのです。誰に委ねるかを間違わないように!

1月26日のみことば

心に思う「神はわたしをお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みてくださらない」と。(詩編10:11)

そう思えることが私たちにもあります。なぜこんな苦しく辛いことが続くのだろう? 神様は私のことを忘れてしまわれたのだろうか? 大きな間違いです。神はあなたに目を注ぎ、すでに救いの働きを進めておられます。救いは近いのです。アドヴァイスを一つ。そういう気持ちになる時は、ぜひとも礼拝の場にわが身を置くことです。そうすると自分に注がれている神の愛のまなざしを確信できるでしょう。

1月24日のみことば

主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し、そのまぶたは人の子らを調べる。(詩編11:4)

子供の頃、教会学校で「神様がいつも見ておられる」と教わりました。それは私の心で二つの役割を果たしました。一つは、神様が見ておられるから悪いことをしてはいけないということ。誘惑の多い時代だからこれは本当に有益でした。もう一つ、神様が見ていてくださるから安心だということ。私は一人じゃない、神様がご一緒。私はどれほど平安を得たことでしょう。神は今日もあなたを見守っておられます。

1月25日のみことば

(主よ)あなたは必ず御覧になって、御手に労苦と悩みをゆだねる人を、顧みてくださいます。(詩編10:14)

毎日生活をしていれば、万事がうまくいくとは限りません。悩みはゼロにはなりません。しかし感謝すべきことは、その労苦や悩みを引き受けてくださる方を私たちは知っているということです。「私に任せなさい。悪いようにはしない」と神は言われます。だから神の御手にすべてをお委ねし、自分にできることを始めればいいのです。誰に委ねるかを間違わないように!

1月23日のみことば

主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え、人の子らの中から信仰ある人は消え去りました。(詩編12:2)

「人材」とは才能があり、役に立つ人、有能な人のこと。「逸材」とは人並み以上にすぐれた才能のある人のこと。そういう人物がいる組織は堅固でしょう。教会にとって真に求められる人材とは「信仰ある人」。なぜなら信仰はいかなる状況の中でも愛と希望を失わないからです。本当は社会でもそういう人材が求められているのではないでしょうか。信仰を尊ばない社会は愛と希望を失いやすい社会ですから。

1月24日のみことば

主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し、そのまぶたは人の子らを調べる。(詩編11:4)

子供の頃、教会学校で「神様がいつも見ておられる」と教わりました。それは私の心で二つの役割を果たしました。一つは、神様が見ておられるから悪いことをしてはいけないということ。誘惑の多い時代だからこれは本当に有益でした。もう一つ、神様が見ていてくださるから安心だということ。私は一人じゃない、神様がご一緒。私はどれほど平安を得たことでしょう。神は今日もあなたを見守っておられます。

1月22日のみことば

人は友に向かって偽りを言い、滑らかな唇、二心をもって話します。主よ、すべてを滅ぼしてください。(詩編12:3~4)

神が喜ばれないもの、それは滑らかに語る偽りの言葉、威張って語る言葉です。そういう言葉によってどれほど多くの人が傷つけられていることでしょう。詩人はそういう言葉がなくなりますように、と言います。神学者フォーサイスは『祈りの精神』の中で「祈りは言葉の最高の使用法」と言っています。私たちの言葉を神を讃美するため、祈るために、悲しむ人を慰め励ますためにも用いたいと思います。今日もあなたの側にはあたたかい一言を待っている人がいるに違いありません。

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