1月23日のみことば

主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え、人の子らの中から信仰ある人は消え去りました。(詩編12:2)

「人材」とは才能があり、役に立つ人、有能な人のこと。「逸材」とは人並み以上にすぐれた才能のある人のこと。そういう人物がいる組織は堅固でしょう。教会にとって真に求められる人材とは「信仰ある人」。なぜなら信仰はいかなる状況の中でも愛と希望を失わないからです。本当は社会でもそういう人材が求められているのではないでしょうか。信仰を尊ばない社会は愛と希望を失いやすい社会ですから。

1月21日のみことば

主は言われます。「虐げに苦しむ者と、呻いている貧しい者のために、今、わたしは立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」(詩編12:6)

神の目は誰に注がれているのでしょうか? 神の耳を誰の声に傾けられているのでしょうか? 虐げに苦しむ者、呻いている貧しい者に。神は彼らを決して放置されません。今、神は彼らの救いのために立ち上がられます。もしあなたが今、苦境にあるならば、心を込めて祈りましょう。その声は間違いなく神の耳に届きます。神はあなたの祈る姿に目を留めておられるのですから。

1月22日のみことば

人は友に向かって偽りを言い、滑らかな唇、二心をもって話します。主よ、すべてを滅ぼしてください。(詩編12:3~4)

神が喜ばれないもの、それは滑らかに語る偽りの言葉、威張って語る言葉です。そういう言葉によってどれほど多くの人が傷つけられていることでしょう。詩人はそういう言葉がなくなりますように、と言います。神学者フォーサイスは『祈りの精神』の中で「祈りは言葉の最高の使用法」と言っています。私たちの言葉を神を讃美するため、祈るために、悲しむ人を慰め励ますためにも用いたいと思います。今日もあなたの側にはあたたかい一言を待っている人がいるに違いありません。

1月20日のみことば

主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。(詩編12:7)

詩人は、神の言葉は炉の中で七たびも精錬を重ねた銀のように純粋だ、と言います。神はご自分が語られた約束を必ず守られます。詩編12:8にはこう記されています。「主よ、あなたはその仰せを守り、この代からとこしえに至るまで、わたしたちを見守ってくださいます」。一日に一つ、純度の高い銀や金よりも純粋な神の言葉を心に頂くことにしましょう。私たちは心の豊かさを経験することでしょう。

1月21日のみことば

主は言われます。「虐げに苦しむ者と、呻いている貧しい者のために、今、わたしは立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」(詩編12:6)

神の目は誰に注がれているのでしょうか? 神の耳を誰の声に傾けられているのでしょうか? 虐げに苦しむ者、呻いている貧しい者に。神は彼らを決して放置されません。今、神は彼らの救いのために立ち上がられます。もしあなたが今、苦境にあるならば、心を込めて祈りましょう。その声は間違いなく神の耳に届きます。神はあなたの祈る姿に目を留めておられるのですから。

1月19日のみことば

わたしの神、主よ、・・・わたしの目に光を与えてください。(詩編13:4)

詩人は13:3で「いつまで、わたしの魂は思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのか」と言います。先週の歩みがそのようなものであったとしても、今週は主がわたしたちの目に希望の光を与えてくださる日でしょう。初代のキリスト者たちは朝の光の中で復活の主を覚えつつ礼拝を捧げました。「今日はひかりをたまいし日なり、こころの闇に照りいでたまえ」(「讃美歌」1954年版)。

1月20日のみことば

主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。(詩編12:7)

詩人は、神の言葉は炉の中で七たびも精錬を重ねた銀のように純粋だ、と言います。神はご自分が語られた約束を必ず守られます。詩編12:8にはこう記されています。「主よ、あなたはその仰せを守り、この代からとこしえに至るまで、わたしたちを見守ってくださいます」。一日に一つ、純度の高い銀や金よりも純粋な神の言葉を心に頂くことにしましょう。私たちは心の豊かさを経験することでしょう。

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