10月26日のみことば

主は、従う人に目を注ぎ、助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。(詩篇34:16)

神の慈愛の目は誰に注がれているのでしょう?神に喜んで従う人にです。それは母親の目が遊んでいる子どもにいつも注がれているのと同じです。神の耳は誰に傾けられているのでしょう? 母親の耳が自分を呼ぶ子の声に傾くのと同じです。神の目はご自分の民を識別し、神の耳はご自分の民の叫びを聞き分けます。どんなに大勢の人がいても、騒がしい状況であってもです。今日は礼拝の日、神は礼拝堂にあなたの姿を探し、あなたの讃美と祈りの声を聞こうとしておられます。

10月24日のみことば

わたしの魂は主によって喜び躍り、御救いを喜び楽しみます。(詩編35:9)

子犬は飼い主を見るとジャンプして喜びを表現し、幼子は母親を見ると顔いっぱいの笑顔を向け、私たちは神の前に出ると、心は喜びに溢れ躍動します。今日も神が心に喜びを満たしてくださる日、期待して一歩を踏み出しましょう。

10月25日のみことば

主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。(詩編34:19)

私たちの人生にはこなごなに「打ち砕かれた」としか言えないような時があります。しかし、詩人はそのような時こそ神は近くにいますと言います。まるで傷口に手を当てて治療する医者のように、神は私たちを癒されるのです。また私たちは後悔することが実に多いです。「あれは私の間違いだった、本当はこうすべきだったのだのに」。しかし神は悔い改める人を救ってくださると言います。神は私たちに繰り返し新しく始める時を与えてくださっているのです。

10月23日のみことば

優れた会衆の中であなたに感謝をささげ、偉大な民の中であなたを賛美できますように。(詩編35:18)

「優れた会衆」は岩波訳では「大きな集会」、「偉大な民」は「多数の民」となっています。しかし大きさ、多さだけを問題にしてはいけません。ある注解者が言うように「成熟した市民にまで成長する男女は決して多くはない」のです。詩人は大きさ、多さと同時に信仰者として成熟を考えています。私たちも成熟した人、成熟した教会になりましょう。

10月24日のみことば

わたしの魂は主によって喜び躍り、御救いを喜び楽しみます。(詩編35:9)

子犬は飼い主を見るとジャンプして喜びを表現し、幼子は母親を見ると顔いっぱいの笑顔を向け、私たちは神の前に出ると、心は喜びに溢れ躍動します。今日も神が心に喜びを満たしてくださる日、期待して一歩を踏み出しましょう。

10月22日のみことば

神に逆らう者に罪が語りかけるのが、私の心の奥に聞こえる。(詩編36:2)

私たちの心に語りかける二つの声があります。一つは神、一つは罪。もしあなたの心に悪意が沸き起こっているなら、それは罪からの声と知るべきだし、そんな思いは断固として断ち切るべきです。そこにはなんの祝福もありません。ヨハネの手紙Ⅰは、「兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません」(2:11)、「兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です」(4:20)、さらに厳しく「兄弟を憎む者は皆、人殺しです」(3:15)と言っています。私たちは「互いに愛せよ」という戒めだけを主イエス・キリストから受けているのです。

10月23日のみことば

優れた会衆の中であなたに感謝をささげ、偉大な民の中であなたを賛美できますように。(詩編35:18)

「優れた会衆」は岩波訳では「大きな集会」、「偉大な民」は「多数の民」となっています。しかし大きさ、多さだけを問題にしてはいけません。ある注解者が言うように「成熟した市民にまで成長する男女は決して多くはない」のです。詩人は大きさ、多さと同時に信仰者として成熟を考えています。私たちも成熟した人、成熟した教会になりましょう。

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