10月4日のみことば

主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。(詩編37:23)

ある牧師が語った話。「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)とある。それで彼は実際にランプを作り、それを街灯一つない真っ暗闇の中で灯してみたというのだ。そこで彼はいくつかのことを発見した。①懐中電灯のように遠くを照らすことはできないが、案外周囲を明るく照らす。②油が入っているので速く移動することはできない。③その光の中では案外落ち着く。なるほどと思いました。主は先の先までではなく、一歩一歩を示してくださるのです。それで十分なのです。その導きの中を生きる時、私たちは落ち着きを取り戻すのです。

10月5日のみことば

人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。(詩編37:24)

慰めに満ちた尊い言葉です。長い人生の中には「倒れる」経験をすることがあります。立ち上がれないのではと思えることさえあります。しかし倒れたまま放置されてはいないのです。倒れた私の手をあたたかい神の御手がしっかりととらえていてくださる、神が私たちの手を力をこめて握っておられ、やさしく見つめ、そっと引き起こしてくださるのです。あなたが今、倒れているのなら、このあたたかい御手にすがって立ち上がりましょう。

10月3日のみことば

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。(詩編37:36前半)

人間は弱く欠点の多い存在だとつくづく思います。それでもなお神に喜ばれるような生き方をしたいと心から願うことは大切。そのためには、何よりもまず神をまっすぐに見ること、その愛に包まれること。そのとき私たちは神に愛されている神の子として正しく生きる力を得るのです。今日ひとときでいい、まっすぐ神に思いを馳せる時を持ちましょう。

10月2日のみことば

平和な人には未来がある。(詩編37:37後半)

聖書の「箴言」には争いに関して心に留めるべき言葉がたくさんあります。「激しやすい人はいさかいを引き起こし、忍耐深い人は争いを鎮める」(15:18)。「争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こす」(20:3)。主イエスはこう言われた、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。隣人に対して悪意を持たないのはもちろん、隣人の幸せを心から願う、そのような「神の子」たちが多くなれば私たちの世界はきっと変わるでしょう。

10月3日のみことば

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。(詩編37:36前半)

人間は弱く欠点の多い存在だとつくづく思います。それでもなお神に喜ばれるような生き方をしたいと心から願うことは大切。そのためには、何よりもまず神をまっすぐに見ること、その愛に包まれること。そのとき私たちは神に愛されている神の子として正しく生きる力を得るのです。今日ひとときでいい、まっすぐ神に思いを馳せる時を持ちましょう。

10月1日のみことば

主に従う人の救いは主のもとから来る。(詩編37:39)

我が家は以前犬を飼っていました。今は猫を飼っています。彼らは気ままですが、誰が自分たちに餌をくれるかは知っており、食事の時間になると、私のほうをじっと見つめます。美味しいものが誰から来るのかを知っているのです。あなたは自分の救い、恵み、祝福がどこから来るか知っているはず。見当違いな方向を見ないようにしましょう。

10月2日のみことば

平和な人には未来がある。(詩編37:37後半)

聖書の「箴言」には争いに関して心に留めるべき言葉がたくさんあります。「激しやすい人はいさかいを引き起こし、忍耐深い人は争いを鎮める」(15:18)。「争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こす」(20:3)。主イエスはこう言われた、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。隣人に対して悪意を持たないのはもちろん、隣人の幸せを心から願う、そのような「神の子」たちが多くなれば私たちの世界はきっと変わるでしょう。

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