9月28日のみことば

主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よ、すぐにわたしを助けてください。(詩篇38:22~23)

詩人は神に「遠く離れないで」と言い、「すぐに助けてください」と言います。聖書の神は遠くから私たちを傍観する方ではありません。「いずれそのうちに」と言う方でもありません。私たちの傍にいて、すぐに助けの手を差し伸べる方です。今週もそうです。

9月26日のみことば

恵みの御業を心に秘めておくことなく、大いなる集会であなたの真実と救いを語り、慈しみとまことを隠さずに語りました。(詩編40:11)

私たちは神の恵みの数々を覚えているでしょうか。案外忘れてしまっていることが多いのでは? 時間の経過とともに写真の色があせるように、神の恵みも色あせてしまったでしょうか。かつて「百年プリント」という言葉がありました。長い年月、色があせない写真、いい言葉だと思いました。神の恵みはいつまでも色あせない新鮮な記憶でありたいものです。

9月27日のみことば

わたしは口を閉ざして沈黙し、あまりに黙していたので苦しみがつのり、心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。「教えてください、主よ、わたしの行く末を・・・」(詩編39:3~5)

芭蕉の句に「物言えば唇寒し秋の風」とあります。なにごとにつけても物を言えば、あとでたいてい後悔の気持ちがでるもの。しかし同時に「物言わざれば腹ふくるる」とも言います。ではどうする? 神に申し上げる道が残されています。つまり祈りです。ある老婦人が言った言葉「人に言えば愚痴になりますが、神に申し上げれば祈りになります」。まさに至言。日々いろいろなことを経験しますが、何よりもまず神に申し上げることにしましょう。

9月25日のみことば

わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを。(詩篇42:5)

詩人は、仲間たちと神の家で心を一つにして賛美を捧げた時のことを思い起こしています。それは大きな喜びでした。力の源でした。彼は再びその群れの一人でありたいと願っているのです。あなたにとっても礼拝はなくてはならぬ宝であるはず。さあ、今度の日曜日礼拝に出て新しい力と喜びを溢れるばかりに受けましょう。

9月26日のみことば

恵みの御業を心に秘めておくことなく、大いなる集会であなたの真実と救いを語り、慈しみとまことを隠さずに語りました。(詩編40:11)

私たちは神の恵みの数々を覚えているでしょうか。案外忘れてしまっていることが多いのでは? 時間の経過とともに写真の色があせるように、神の恵みも色あせてしまったでしょうか。かつて「百年プリント」という言葉がありました。長い年月、色があせない写真、いい言葉だと思いました。神の恵みはいつまでも色あせない新鮮な記憶でありたいものです。

9月24日のみことば

わたしのことは巻物に記されております。(詩編40:8)

「巻物」とは「神に属す者の名やその行いを記録した書のこと。神が人間のすべてを知っていることを象徴的に表しているもの」。この巻物の存在は私たちに畏敬と同時に平安をもたらします。神は私よりも私のことをご存知であるから、神に喜ばれるように毎日を歩もうという願いを呼び起こします。同時に、誰にも理解されないような時にも神は知っていてくださるという平安と落ち着きを与えます。

9月25日のみことば

わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを。(詩篇42:5)

詩人は、仲間たちと神の家で心を一つにして賛美を捧げた時のことを思い起こしています。それは大きな喜びでした。力の源でした。彼は再びその群れの一人でありたいと願っているのです。あなたにとっても礼拝はなくてはならぬ宝であるはず。さあ、今度の日曜日礼拝に出て新しい力と喜びを溢れるばかりに受けましょう。

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