旧約聖書と新約聖書

ドイツの実践神学者クリスチャン・メラーは「魂への配慮としての説教」と題した本の中で「旧約聖書を軽視し、それどころか取り去ってしまう人は、イエス・キリストをも失い、彼を一つの観念に蒸発させてしまう。旧約聖書を失うことで、イエス・キリストは彼の民から切り離されるからである」と書いています。その通りだと実感する日々です。

ヘブライ語聖書(ユダヤ教では「タナク」と呼んでいます)をそれ自体として学問的に研究すると自然に「新約聖書」に行き着くかというと、そんなことはありません。そうであれば、タナクに親しむユダヤ人はキリスト者になっているはずです。反対に新約を旧約から切り離して、新約の叙述を生命的に読み得るかというと、そうではありません。土着的な伝統や実存的な自己理解によって新約聖書を読み込んでしまう。第二次世界大戦下のドイツで、ドイツ的キリスト者たちが、旧約聖書を棄て去るとともにユダヤ人の大量虐殺を起こしたのと同様のことが、わたしたちにも起こるに違いありません。

では、キリスト者にとって旧約と新約の関係はどう捉えることが大事なのでしょう。両者を不即不離の一体性をもつ「聖書」と受け止める。それです。それがキリスト教会の長い普遍的伝統を形作り、将来を切り開く希望の源泉の源となったのです。(大野惠正『旧約聖書入門』3より)

 

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