「わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる」(詩編139:4)
私が一言も祈らなくても神は全部ご存じなのであれば祈る必要はないのでは? それは理屈というものです。愛し合っている親子は特別用がなくても折にふれて言葉を交わし合いたいもの、それが嬉しいのです。毎日同じ言葉であっても、神は私たちの祈りを聞きたいと思っておられます。今朝まだお祈りしていない方はほんの一分お祈りしてみては?
私が一言も祈らなくても神は全部ご存じなのであれば祈る必要はないのでは? それは理屈というものです。愛し合っている親子は特別用がなくても折にふれて言葉を交わし合いたいもの、それが嬉しいのです。毎日同じ言葉であっても、神は私たちの祈りを聞きたいと思っておられます。今朝まだお祈りしていない方はほんの一分お祈りしてみては?