ユーチューブ礼拝 2020.5.17(日)

〔主日礼拝式次第〕

讃美 17番(聖なる主の美しさと、1、2節)

   1 聖なる主の美しさと その栄えを 仰いで

     まごころもて み前に立ち み名をたたえ あがめよう

   2 重荷すべて 主が代わって 負ってくださる うれしさ

     悩み多い 世の旅路も みちびく 主のみ恵み アーメン

 

聖書 詩編68編20節

   〔新共同訳〕主をたたえよ 日々、わたしたちを担い、救われる神を。

   〔天野有先生訳〕日々に主はほむべきかな! 我らの助けでいます神がわれらを負い給う。

 

説教 「みことばの実験」 踊一郎牧師

西南学院大学神学部で教えておられた天野有先生が食道がんのために召されたのは2018年10月17日、享年62才でした。カール・バルトの研究者として次々翻訳出版しておられました。

天野先生の最後の文章「カール・バルトの説教」が雑誌「説教黙想アレテイア」(2018年、第102号)に掲載されました。先生が最後まで繰り返し読み、黙想したのは詩編68編20節のみ言葉であり、それについてのバルトの説教でした。「日々(ひごと)に主はほむべきかな! われらの助けでいます神がわれらを負い給う」。この聖句を闘病中の自分はどう受け止めることができるか、どのような作用を及ぼすのか「実験してみよう」と思われたのです。

「日々(ひごと)に主はほむべきかな!」。私たちがこのみ言葉を唱和する時、私たちはその真理の中に歩み入り、その事実の中にいることになると言われます。

「われらの助けでいます主イエスさま」。天野先生は時に「わが助けである主イエスさまがわれを負いたもう」と口ずさみました。それも確かに真実ですが、「われらの助け」の方がより適切だと思われたとあります。なぜなら主イエスさまは先生自身を、奥様や子供さんを、そして信仰の諸兄姉を日々に負い、支え、救いたもう方だからでした。(踊)

 

黙想 「ラールゴ・スピッカート」ヴィヴァルディ/バッハ   踊 純子姉

祝祷                            踊一郎牧師

 

〔祈りの課題〕

 ・一日も早く新型コロナウイルス感染が終息し、安心して礼拝を捧げる日が来ますよう共に祈りましょう。

 ・兄弟姉妹の健康が守られるよう祈りましょう。

 ・医療従事者のために祈りましょう。

 ・祈りと愛を込めた言葉こそ最高の贈り物! 今週も誰かに電話や手紙やメールを送りましょう。

 ・J・H・ジョエット『日々の祈り』より

  祈りを聞きたもう神よ、

  今み前にある病弱な人たちを思い出します。

  すべての病院を祝福してください。

  その病や痛みに苦しむ人たちが愛と恵みの看護のもとにおかれますように。

  彼らの病気が、わたしたちすべてをより深い、

  さらに実り多い交わりに結び付けますように。

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