メッセージ

「十字架のイエスこそ私たちの誇り」

マルコ福音書14章以下は「受難物語」と言われ、主イエスの十字架の出来事が語られています。ですからある人はマルコ福音書のことを「長い序文をもった受難物語」と言っています。受難物語の基本的な流れはマタイとルカ両福音書とも同じです。

主イエスの十字架刑が執行されたのはエルサレム、その地にいたキリスト者たちがこの出来事を大切に記憶したのは当然のことでした。彼らはそこに何を見たのでしょうか。Ⅰコリント1:23には「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものです」とあり、ユダヤ人とって十字架は神の呪いであり、力を重んじるローマ人には無力、美と知恵を愛するギリシャ人には愚かでしかありませんでした。当初はキリスト者たちもそう思ったはずです。

けれどもやがて彼らの目に、この十字架は「神の力、神の知恵」として明らかになってきたのです。十字架上に死んだイエスを神が復活させたのですから、ここに「神の力」があますところなく明らかにされていると確信できました。無残な出来事の中に人々に対するイエスの愛と父なる神への信頼が現われ、さらにこれを通して私たちを救おうとされる大きな「神の知恵」が現われていたのです。その信仰のゆえに十字架のイエスは彼らの無上の誇りとなったのです。

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