牧師挨拶

こんにちは。初めまして。
西南学院バプテスト教会のホームページを訪れてくださり、ありがとうございます。2022年9月より主任牧師になった西脇慎一です。

あなたは、キリスト教に興味を持たれて初めてホームページを開かれたのでしょうか。
今回はたまたま来訪されたのでしょうか。あるいはキリスト教に安らぎと救いを求めているのでしょうか。
このホームページを通して少しでもキリスト教の神さまの愛をお伝えできれば幸いです。

少しの間、私の信仰体験のお話しをさせてください。
私にとってのキリスト教会は、苦難の多い人生を歩むなかで、神の守りを信じるために必要な場所です。
私は生まれた時から教会に通っていました。いわゆる「宗教二世」です。「神さまが私たちを愛し、生命を与えてくださったこと」や、「神さまがいつも見守ってくださること」をそのまま信じて育ってきました。
ところが人生には様々な山や谷があります。私の人生にも苦境が待ち受けていました。
苦難の渦中にある時には神さまの祝福や守りという言葉が、空虚のように感じられました。何故ならば私はそれまで「成功」という祝福こそ神さまの恵みであり、苦難は「罪」のせいだと思っていたからです。自分がそのような状況にあった時、神の存在を悶々と考える中で、神はいないという結論に至った時期もありました。

しかし、主なる神は、やはり私たちが苦難を乗り越えるために力を与えてくださる方でありました。神の守りはないと思っていた私を、絶望に終わらせずに生きる力を与えたのは、やはり神の存在であったのです。神は、信じる者たちに祝福や成功を与える神なのではなく、むしろ信じることさえできないような者たちの助けとなる神であったからです。

それがイエス・キリストであることを、わたしは出来事のなかで感じることができるようになりました。
聖書によれば、イエス・キリストはその生涯の中で貧者、病者、弱者、罪人のところに赴き、あなた方はそのままで愛されていることを伝えて歩まれました。彼らは何か罪を犯したから罰を受けたのでしょうか。いいえ、そうではありません。しかし、現実的にそのような不条理な苦難が私たちの人生にはあるのです。だから、イエス・キリストは私たちに「思い煩ってはならない」と言い、「安心しなさい。私が共にいるのだから」と言われたのです。

イエス・キリストは、今もその聖書の言葉を通して、私たちがその困難を最後まで歩み通すことができるように、私たちを支えてくださいます。私は、そのようなイエス・キリストの福音を伝え、共に生きるために牧師になりたいと思いました。
神の存在は私たちが絶望に終わらないための希望の光です。私はイエス・キリストを私の救い主として受け入れた時、本当の意味で神の守り、自由にされるということを知ったように思いました。それはある意味「律法主義」からの解放でした。ですから、私にとってイエス・キリストの存在は「救い」なのです。

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ福音書6:26)

神の愛は、そのようなあなたに向けられているのです。是非、このイエス・キリストの愛を聞いてみませんか?
よろしければ、どうぞいつでも西南学院バプテスト教会の礼拝にお越しください。

主任牧師 西脇慎一

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