10月20日のみことば

「わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる」(詩編139:4) 私が一言も祈らなくても神は全部ご存じなのであれば祈る必要はないのでは? それは理屈というものです。愛し合っている親子は特別用がなくても折にふれて言葉を交わし合いたいもの、それが嬉しいのです。毎日同じ言葉であっても、神は私たちの祈りを聞きたいと思っておられます。今朝まだお祈りしていない方はほんの一分お祈 ...
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「イエスは祈っておられた」

マルコ福音書一章三五節に次のような注目すべき言葉が記されています。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」 この言葉の前には主イエスの多忙さが記されており、音楽に例えると曲想が変わり、その後再び主イエスの多忙な宣教活動が描かれているのです。 福音書記者は何を私たちに告げようとしているのでしょうか。ヘンリー・ナーウェンは『静まりから生まれるもの』と題す ...
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8月8日のみことば

「主の家に行こう、と人々が言ったとき/わたしはうれしかった」(詩編122:1) シオンの丘に建てられた神殿、そこで営まれる盛大な礼拝、それに参加するため人々は互いに「主の家に行こう」と声を掛け合って旅立ったのです。一歩一歩前進しつつ神の恵みに思いを馳せ、同じ道を歩む仲間の絆を実感する喜びの行進、帰路は感謝と力に溢れた喜びの行進でした。カルヴァンはこれを「心軽やかな信仰の従順」と呼びます。ところで今 ...
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「来てみなさい。そうすれば分かる」

ある集まりで一人の人が「キリスト教の将来には希望が持てない、教会員は次第に減り、いくつかの教会は消滅するか合併するだろう」と言うのです。その方はそう思っているのですから、あえて反論するのはやめました。 しかし私の心には別の言葉が響いていました。私が「主よ、今日あなたを求める人は少ないのでしょうか」と問うと、主は「そうではない。私を求める人はあの時代よりも多い。少ないのは訓練を受けた働き人だ」と言わ ...
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「バッハの聖書」

詩編148編はすべての被造物に心からの讃美を呼びかけています。「ハレルヤ。天において主を賛美せよ。地において主を賛美せよ。」特に12~13節には次のようにあります。「若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ。主の御名を賛美せよ。」 1934四年、アメリカでJ・S・バッハ(1685~1750)の聖書が発見されました。それは通称「カロフ聖書」と言われ、1681~1692年にかけてヴィッテンベルグで刊行、ルター ...
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