わたしはよろこんで歳をとりたい
神を信じるとは 目の前にある すべての暗がりをとおして 先を見ること ちょうどガラスごしに見るように 先を見るのだ ・・・ 信仰とは 聴くことでもある いのちが 静けさのなかで はるかな はるかな音として 聞こえてくるように 最期のとき 静けさのなかで あの永遠の変わることのない 別の世界の音楽が わたしには 聞こえてくることだろう・・・ わたしの道はさらに先へ続くだろう 新しい発見から ...
続きを読む
続きを読む
まことの友イエス・キリスト
ヨハネ福音書15:15で主イエスは弟子たちにこう言われました。 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 ユングの研究家河合隼雄氏の思い出です。彼がスイスのユング研究所に留学、学びを終えて帰国する前に指導してくれたマイヤー先生が「三年間で学んだことは何か、心の残りな ...
続きを読む
続きを読む
愛と慰めの共同体・教会
山上で説教されました。「空の鳥をよく見なさい」「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ六・二六、二八)。そよ風に乗って聞こえてくる主のみ言葉は、生きることに疲れ切った群衆の心に神の愛をはっきりと示し、大きな慰めと喜びをもたらしました。 ドイツの神学者クリスチャン・メラーは『慰めの共同体・教会』の中で現代の教会が傾聴すべきことを告げています。 業績のとりこになっている人間に必要なのは ...
続きを読む
続きを読む
私たちの間にあるもの
関西学院大学神学部に学んでいた頃、松木治三郎先生がよく語られた言葉を思い出します。それは「私たちの間に聖書がなければ私たちは悪魔の座に座る」という言葉で、『現代キリスト教問答』の序に記されています。 ユダヤ教のもっとも重要な文書ミシュナーの中に、次のようにしるされている。「もし二人の間にトーラー・法・十戒がないと、あざける者の座にすわる」。一人でなく二人だと人の悪口をいい合い、人をあざけり、神をあ ...
続きを読む
続きを読む