祈りの扉を開こう

『祈る―パウロとカルヴァンとともに』は、神学者ルドルフ・ボーレンの最後の著作であり、召される2年前の2008年、88歳の時に刊行されたものです。心に響く多くの言葉が記されています。 祈りはどんな子どもでもできるものだが、カルヴァンは「我々はその相応しい仕方を知らない」と言い、使徒パウロは「何を祈ったらよいのか」知らない(ローマ8:26)と言っています。それについてボーレンは「祈ることは、何としても ...
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みことばの実験

西南学院大学神学部で教えておられた天野有先生が食道がんのために召されたのは2018年10月17日、享年62才でした。カール・バルトの研究者として次々翻訳出版しておられました。 天野先生の最後の文章「カール・バルトの説教」が雑誌「説教黙想アレテイア」(2018年、第102号)に掲載されました。先生が最後まで繰り返し読み、黙想したのは詩編68編20節のみ言葉であり、それについてのバルトの説教でした。「 ...
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二つの記念

「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」(マルコ14:3) これは主イエスに高価なナルドの香油を注いだ女性の話です。弟子たちは「無駄遣いだ、それを売って貧しい人たちに施すべきだ」と憤慨しました。しかし主は女性の行為を「わたしに良いことをしてくれ ...
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新しい言葉を全世界に

「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16:14) 「かたくなな心」とは乾燥して固くなった心、マルコ四章の譬えで言うと「道端」のような心で、そこに蒔かれた種は鳥が食べてしまうのです。主はそれを「おとがめ」になります。厳しいことですが、私たちが良い地となリ、豊かな実を結ぶ ...
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ガリラヤでお目にかかれる

マルコとマタイの福音書は主と弟子たちの再会の場はガリラヤであるのと告げ、ルカ福音書は弟子たちにエルサレムに留まるよう促しています。 ルカは、福音はエルサレムから全世界に向かって扇状に拡大するという神学を持っているのです。それに対し、マルコとマタイはガリラヤこそ主イエスが福音宣教を開始され、弟子たちを招かれた聖なる記念の場所だと考えています。エルサレムでは弟子たちは失敗続きでした。彼らはゲッセマネの ...
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