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巻頭言「主に召された者として」

 私が献身について初めて考えたのは中学1年の時でした。それは憧れに似たものだったと思います。大人になって真剣に考えたのは大学2年の時でした。牧師であった父は、聖書の中に記されているモーセ、イザヤ、エレミヤ、そしてペトロやパウロなどの召命を読み、祈りつつ考えるようにと助言してくれました。この働きが決して安易なものではないことを知っていたからこその助言だったと思います。

 私はその助言に従いました。モーセの召命記事を読んでは「果たして自分に務まるだろうか」と考え、イザヤを読んでは「辞めるなら今のうち」と迷い、エレミヤを読んでは「確かに人生経験が足りない」と悩み…。ペトロのそそっかしさや失敗を読んだ時には、なんだか少しほっとし、しかしパウロの強さに直面すると、自分にはあれほどの強さはないと再び迷い…。
 巡り巡って得た結論は、私の決意の堅さではなく主の招きの確かさ、私の能力や熱意の大きさではなく招いてくださる主イエス・キリストの力の偉大さということでした。牧師として歩み続けて46年、「主に従うことはなんとうれしいこと」(讃美歌21-507番)、それが今の私の実感です。(踊)

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