巻頭言「主イエスの十字架はわれらの誇り」

 長年病床に臥して女性がありました。動けない彼女が目にできるものは天井板だけ、しかしある時その天井板の古い染みが十字架の形に見えたのです。その時から彼女の心に主イエスのあたたかい愛が注がれてくるような気がしたのです。

 O姉のフェイスブックにはこう記されていました。「山の端に大きく枝がクロスした大木があり、それを見ながら親の病気のことなど、その時抱えていた自分ではどうしようもない様々な問題を祈りながら歩いてきました。かれこれ10年以上になります。葉が茂り枝が伸びて十字架は隠れていますが、私にはどの木だがわかります。

 韓国で開催された世界バプテスト大会に参加したことがあります。町のあちこちに教会の十字架がありました。見知らぬ町、理解できない言葉、しかし青い空にしっかりと立つたくさんの十字架に、不思議な懐かしさ、その地のキリスト者との強いつながりを感じました。

 使徒パウロは十字架の意味が明らかになればなるほど讃美せずにはいられませんでした。「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(ガラテヤ6:14)。主の十字架は私たちにとっても救いのしるしなのです。(踊)