巻頭言「十字架と復活は私たちの信仰の中核」

 主イエスの十字架という出来事は、当時の人々にとっては呪いであり、無力であり、愚かなものでした。しかし使徒パウロにとっては、神の知恵であり、救いであり、誇りだったのです。

 主イエスの復活はどうでしょうか。パウロがアテネの人々にイエスの復活を告げた時、「ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」(使徒言行録17:32)と記されています。現代の多くの人々もきっと同様でしょう。

 青野太潮先生は『どう読むか、新約聖書』の中で、父なる神は、イエスのこの十字架を、そしてさらにはこの十字架へと至る道を不可避的に招来した、生前のイエスの言葉と振る舞いを、全面的に「肯定」されたのであり、その「肯定」のしるしとして、この「復活の生命」をイエスに与えてくださったのだ、と記しておられます。

 十字架には父なる神に対する主イエスの完全な信頼と神の完全な救いの知恵が表れています。復活には主イエスの生涯に対する神の全面的な肯定と「わたしはいる」という神による究極的な証明が表れているのです。キリスト教会は十字架と復活を信仰の中核として大切にしています。(踊)