巻頭言「疲れ果てた者に安堵を」

 主イエスの目に当時の群衆はどのように見えたのでしょうか。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9:36)。誇張ではなく彼らは「弱り果て、打ちひしがれて」おり、だから主はこう呼びかけられました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)。

 私の祖母が初めて教会に導かれたのは、路傍伝道でこのみ言葉を聞いたからでした。祖母は弱り果てている自分に呼びかけている方がおられることを知ったのです。それが祝福への一歩でした。

 主イエスは今の時代をご覧になっても、同様に言われるのではないでしょうか。私たちはあまりにも多忙で、様々なことに心を煩わせています。今必要なことは、主のまなざしのもとに集うということであり、負えない重荷を主の足元に降ろしてしばらく寛がせて頂くことです。

 神学者クリスチャン・メラーは、私たちが目指したいのは「疲れ果てた人びとが安堵することができる場所」としての教会であると言っています。私たちの教会がそのような「いこいのみぎわ」になることを切に祈りたいと思います。(踊)