ルカ福音書11:1に「イエスはある所で祈っておられた」と記されています。特定の場所を記してはいません。それは主イエスがしばしばどこででも祈っておられたからに違いありません。祈りは主イエスの日常だったのです。祈った後の主の表情は澄み渡った青空のようだったのではないでしょうか。
主の姿は弟子たちの心の中に祈りへの憧れを生じさせました。自分も主イエスのように祈りたい、祈りの大きな恵みを経験したいと思ったのでしょう。それで「わたしたちにも祈りを教えてください」とお願いしたのです。これは私たちの願いでもあります。
神学者P・T・フォーサイスは『祈りの精神』の中で次のように言っています。
・真の祈りは人格の最高の機能である。
・祈りはことばの最高の使用法である。
・最悪の罪は祈らないことである。
・神を真剣に求めない者は神から取り残される。
・祈りは食物と同様に、新鮮な力と健康の感覚を増進させる。
私たちも弟子たちのように祈りを熱心に学び、祈りを愛する者になりたいと願います。