今日はキリストの復活を祝うイースターです。復活は私たちの理性と真正面から対立することではないでしょうか。しかしそれは現代の私たちに限ったことではなく、弟子たちの時代においても同様だったのです。
使徒言行録17:16以降には、使徒パウロが哲学の町アテネでイエスの十字架と復活について話した時のことが記されています。
「神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えに なったのです。」死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
受け入れてもらえない話に弟子たちは何故固執し続けたのでしょうか。実はそこにこそ重要な意味があったのです。第一に復活こそが神がおられること、神の力は全能であることを証明するものでした。第二に復活こそがイエスへの神の完全な応答でした。「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」という信頼への神の応答であり、「父よ、彼らを赦してください」という祈りへの承認でした。