「キリストの完全な救い」
マタイ福音書1 章にはイエス・キリストの系図が記されています。これは現代に生きる私たちにはあまり意味を持たないように思えますが、当時の読者には重要な意味を持っていたのです。それは、イエス・キリストこそ神の救いの約束の成就であり完成であることを伝えようとしていたのです。
17節にはこの系図のまとめとして、「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である」と記しています。この「十四代」を三度繰り返すことを通してこの救いが神のご計画の成就であることを印象付けています。
ルカ福音書はキリストの誕生に際してベツレヘムの羊飼いの来訪を告げていますが、マタイ福音書は東の国の博士たちの来訪を告げています。前者はこの幼子がもたらす救いは社会の底辺にいる人々にまで届くものであることを伝え、後者はこの幼子の救いは異邦人にまで及ぶものであることを告げているのです。二つの福音書を持つ私たちは、この幼子の救いこそ全民族、全階層に及ぶ完全な救いであることを知ることができるのです。