ミケランジェロに関してこんな話を読みました。ある日、友人と山を歩いていた時、ミケランジェロは突然道の真ん中に立ち止まり、まるで魔法にかけられたように前方をじっと見つめていました。彼の視線の先には大きな花崗岩があり、ミケランジェロはそれを食い入るように凝視していました。「何を見ているのか」と尋ねた友人に、「この石の中に天使が見える。それを僕は槌とノミで掘り起こすことができる」と答えたのです。
主イエスの最初の弟子シモンはガリラヤ湖の漁師でした。人々の目には威勢のよい漁師にしか見えませんでした。しかし主イエスの目はやがて教会の働きを担って立つ大きな岩を見通しておられたのです。主イエスは「人間をとる漁師にしよう」と彼を招き、「ペトロ」というニックネームをつけられました。ペトロとは「大きな岩」という意味です。
主イエスは私たちにも目を注いでおられます。私たちの中に将来主の働きを喜んで担う姿をご覧になっているのではないでしょうか。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)。