「神の栄光が世々限りなく」
エフェソの信徒への手紙3:20~21には神への祈りが記されています。
わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
聖書が語る神は、私たちの思いや願いをはるかに超えた恵みの業をなさるお方です。使徒パウロはフィリピ書の中で「人知を超える神の平和」が私たちの心と考えを守ると言っています。神は今も私たちに平和と喜び、恵みと力を与えてくださるのです。それゆえにキリスト者は「神の栄光が世々限りなくありますように」と祈るのです。祈るだけではなく、そのために行動するのです。
「教会により、また、キリスト・イエスによって」、教会はキリストの体です。キリストは頭であり、私たちはその肢体です。私たちが考え行動するのは、ただただ神の栄光が現れるためです。それ以外の目的のためではありません。