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2024年3月24日説教全文「 私たちは何を見ているか」牧師:西脇慎一

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〇マルコによる福音書 8章22~26節

一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。 イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。 すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」。 そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。 イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。

〇説教「 私たちは何を見ているか 」

みなさん、おはようございます。オンラインで礼拝されている方もおはようございます。今週も皆さんの心と体のご健康が守られ、主の豊かな祝福と恵みに満ちた日々を過ごされますようにお祈りしています。

本日は、「棕櫚(しゅろ)の主日礼拝」としてを守ります。棕櫚の主日というのは、イスラエルの北部ガリラヤという地域で福音宣教をしていたイエス・キリストが、ついに南部ユダヤ地方にある聖都エルサレムにやってきた記念日です。この時期、エルサレムでは過越祭が行われていたため、歴史的な経緯の中で国を離れ離散の民となった人々がそれぞれの地方からたくさん来ていました。イエスがエルサレムにやってきた理由も、このお祭りの時期に神殿を訪れるためであったと思います。
マルコによる福音では、人々は噂に聞いていたメシアであるイエスに「ホサナ(今こそわれらを助けたまえ)」と叫び、棕櫚(なつめやし)の葉や服を道に敷いてイエスを歓迎したようです。このことからこの日が「棕櫚の主日」と呼ばれるようになりました。しかしその後一週間経たないうちに、イエス・キリストは十字架に架けられることから「受難週」の始まりの日でもあります。棕櫚の日の出来事については説教の後半にもう一度触れたいと思いますが、まずは今日の聖書箇所をお話しします。

今日の箇所は、マルコによる福音書にしか書かれていないエピソードです。ということはつまり、マタイとルカには敢えて採用されない理由があったと言うことです。それは何でしょうか。内容を見ていきましょう。
一方はベトサイダという町に着きました。ベトサイダとは「漁師の家」という意味のある言葉で、ガリラヤ湖北東岸にあった町でした。恐らくはガリラヤ湖の漁によって生計を立てていた人々が多かった街なのでしょう。この町は、イエス・キリストの弟子であるペトロとアンデレ、そしてフィリポの故郷でもありました。
イエス・キリストがこのガリラヤの町ベトサイダにやってきたということは大きな情報です。つまり、私たちはこれまでマルコ福音書を少しずつ読み進めてきましたが、7章のある出会いをきっかけにイエスはガリラヤを離れ、北西部の異邦人の町から南東部の異邦人の町までぐるりと巡っていましたが、ようやく馴染みのある故郷ガリラヤに帰ってきたということだからです。
この間の歩みをもう少し詳しく振り返ってみるならば、イエスがガリラヤから一時的にせよ身を引いたのは、神の掟を捨てて昔の人の言い伝えを固く守る律法学者やファリサイ派の人々との出会いの後でした。つまりそういう頑迷で神の御心を行おうとしない人々に辟易したからだと言えるでしょう。イエスが異邦人の地に引きこもり、誰とも会いたくないと思っていたというのは、まさにそういう精神状況だったと言うことが伺えます。しかし、イエス・キリストもまたシリア・フェニキアの女性を含む異邦人との出会いの中で、自分自身もまた頑なになっている部分に気づかされたかのような出来事がありました。その後イエスはガリラヤを中心にして北西部の地中海地方の異邦人の町から、ヨルダン川東岸の南東部にある異邦人の町まで巡り歩かれたのです。異邦人の土地で「四千人の給食」の出来事が起きたのは、神の国の食卓がユダヤ人だけにではなく異邦人にまで開かれたことの表れであります。つまり、この文脈上大切なのは、様々な出会いの中で自分のこれまでの価値観を固く貫き通すことではなく、むしろ自分の価値観が打ち崩され、開かれていくことであったということをイエスの歩みから見てきました。
今日イエスがベトサイダに戻ってきたと言うのは、つまり言い換えるならば、イエス・キリストは生まれ故郷を離れ、違う文化や違う価値観を大切にする人々との出会いを経て、再びホームタウンに帰ってきたとも言えるでしょう。そうしたときには、私たちはこれまで見ていたもの、或いは当たり前だと思っていたものの見方、捉え方というものが変わるものだと思います。イエスは、その町で何を見たのでしょうか。

今日の個所では、「人々が一人の盲人をイエスのところに連れてきて触れていただきたいと願った」とあります。イエス・キリストはそれまでも「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒したり、その他の病人、悪霊に取りつかれたものから悪霊を解放するという奇跡を行っていましたので、イエスが来たのであれば、困っている人を助けてほしいということはある意味当然の期待であったと思います。

そしてイエスはその願いを聴き、その盲人の目に唾を付け、両手をその人の上におき、またその後その両手をその目に当てられることによって癒されたと記されています。イエスが患部に手を当てられるということ。それはその者にとっては、一番触れられることのない箇所であり、医学も進んでいない時代にはアンタッチャブルな部分であったと思います。しかしイエスは誰も触れてこなかった部分に手を当て祈り癒されました。これは症状が回復、視力の回復ということだけではなく、その人の心、孤独、痛みに全て寄り添われると言うことであったと思います。

実は聖書の中で「盲人の癒し」あるいは「目の見えない人の癒し」というのは、預言されていたメシアによる回復の奇跡という出来事でした。旧約聖書では一度も行われていないことがここで起きたというのが言おうとしていることは、つまりこれはイエスのメシアとしての働きであるということです。実はイエス・キリストがエルサレムに入城する最後に行った癒しの奇跡もまた盲人バルティマイの癒しの出来事でした。彼はこう叫んでいます。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。ダビデの子というのは、メシアへの呼びかけの一つです。そして彼もまたイエスによって目が見えるようになりました。イエスはバルティマイにこう言います。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。

ところが今日の箇所を読んでみると、不思議に思うことがあります。それはイエスは「盲人の手を取って、村の外に連れ出した」ということです。何故村の外に連れ出す必要があったのかということです。そして結局のところイエスによってその人の目は見えるようになるのですが、その彼に向かってイエスは「この村に入ってはいけない」と言われ、家に帰されました。彼の家はこの村の中にはなかったようにも考えることもできるわけですが、不思議だと思わないでしょうか。その町の人々が彼を連れてきたのであれば、むしろ町の中に入って癒されたことの証明をするのが期待されていたことだと思うのです。しかしイエスはそうは言いませんでした。何か町中に彼にとって不都合なことがあったのでしょうか。私たちはイエスが「この村に入ってはいけない」と言ったその意味を考えてみたいのです。

考えられることの一つは、イエスがメシア、キリストであるという噂が広まらないようにするためです。もちろん結果的にはイエスの噂は広くエルサレムまで伝わっていくようになるのですが、確かにマルコ福音書では「誰にも話さないように」と念を押している姿をたびたび見ることができます。そして今日の後の箇所ではフィリポ・カイサリア地方の町々でペトロによるイエスのメシア発言がありますし、その後イエスは十字架による殺害と三日目の復活を予告するようになります。遅かれ早かれ神の時が満ちる状況はあったとはいえ、それが人の声によって広がるのを防ごうとしていたことが考えられます。
しかし、わたしはもう一つのことを考えてみたいのです。それはこの「村」というものが持っている性質についてです。実は26節のギリシャ語本文を直訳すると、イエスはこう言っています。「そして彼自身を遣わした。彼自身の家へ。彼(イエス)は言った。この村へ入ってはいけない」。この村というのは単数ではありますが、村人の住む町ということです。つまり、イエスは「あなたは人々の中に入っていくのではなく、あなた自身の家に帰りなさい」と言っているのです。「村」という言葉には、「村社会」という言葉があるように、集団を守るために造られるいわゆる共同体性があります。それ自体は悪いことではありませんが、その中で「個」より「集団」の価値基準や文化理解が優先されることがあります。そしてこれまでこの盲人は、まさにその集団の交わりの中で生かされてきたと言えると思います。何故その人が目が見えないのかということは誰にもわかりません。しかし、申命記27章に「『盲人を道に迷わせる者は呪われる』。民は皆、『アーメン』と言わねばならない」。とあるように、ユダヤの共同体は確かに盲人を守り、共に生きて行くということを選び取っていたのです。しかしながら、果たしてこの時代、その言葉通りの内実が行われていたのでしょうか。確かに目の見えない人たちをサポートする体制はあったかもしれません。しかし、実際に触れあう人々の温かさよりも、これまで見えてこなかった冷たい世間の実態というものもあるのではないかと思います。

目の見えない方々は、目の見える人よりも他の感性が研ぎ澄まされることが多く、たくさんの音楽家などが活躍しておられますし、手の感覚、その他の感覚は敏感だと思います。例えば一つの声掛けのなかに色々な感情の色合いというものを感じられると思うのです。そういう感性を持った方が見えるようになった時、これは恐らく視力の回復だけではなく、まさに「なんでもはっきりと見えるようになる」という状態が起こるのではないかと思うのです。そんな時、これまでは見えてなかった、聞こえてこなかった、封じ込まれていた村の内部に存在する様々なしがらみ、いがみ合い、妬み合い、隣人トラブルなどが見えてくるようになるのです。イエス・キリストに対する人々の受け止め方みたいなものもあったと思います。例えば、癒されたものとしてはイエスに対する思いは深められていく一方で、村の中心にいたと思われるファリサイ派の人々、律法学者、長老という人々の妬みの思いがありますから、板挟みにあうということも想像できたのではないかと思います。
だからこそイエスは、「あなた自身の家に帰りなさい」。と言われたのではないでしょうか。それは人々の中に取り込まれたり、傷つけられたりすることから守られることを言っていることであり、さらに言えば、あなたはあなた自身でいて良いのだ。あなたらしくありつづけなさいと言うことでしょう。

これは今を生きる私たちにも響いてくる言葉だと思います。私たちは、自分として生きているでしょうか。集団の持っている力、あるいは教えにいつの間にか染まりきったり、抑圧されてしまっていたり、あるいはその力の大きさに戦うことを諦めてしまっていたりしてはいないでしょうか。

ここで棕櫚の日の出来事を思い返したいと思うのです。この日、人々はイエスに「ホサナ(今こそわれらを救いたまえ)」と叫びかけました。しかしその声は、ファリサイ派、律法学者、サドカイ派、祭司長、ヘロデ派などエルサレムの中心となっている様々な人々の暗躍や扇動により、「十字架に即けろ」という大号令に変わっていきました。扇動した人々はそこまで多数ではなかったと思います。しかし少数の大きな声にも私たちは動揺しますし、抵抗する勇気を出せないことがあります。そして最終的にイエスはユダによって引き渡され、十字架にかけられることになりました。弟子たちはそれを見守ることしかできなかったのです。
キリスト教会は、これを長い間イエスの受難は人々の罪を贖うためであった犠牲の死であったと解釈し、神はこのイエスを復活させ、救い主とされたと言います。そして私たちはそのイエス・キリストに救われたものとして今を生きています。しかし、現実問題、イエスは私たちの罪のせいで十字架に架けられたという側面を無視することは出来ないのだと思います。これを十字架の贖罪とし「イエスさま、ありがとう」で片づけてしまってはやはりいけないのだと思います。

私たちは今、このイエス・キリストの受難週に何を神の救いとして見るでしょうか。救い主イエス・キリストは私たちにこう言います「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のためにいのちを失うものは、それを救うのである」。(マルコ8:34-35)

この言葉は、私たちにイエスを信じること、イエスに従うとはどういうことかを考えさせます。確かに厳しい言葉のように受け取れます。しかし実に、私たちが村を離れ、神の家に帰ること。つまり新しい価値観であるイエスを見つめ、自分自身として生きて行くこと。ここに私たちの救いというもの、永遠のいのちというものがあることを教えているのではないかと思います。
イエスはこうも言います。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。(マタイ11:28-30)
私たちが一人であったとしてもイエスが共にいてくれる。どんな時にもイエスが私たちを見放すことはない。わたしたちがどんな過酷な状況にいようとも、困難の中にあろうともイエスは共におられる。イエスの伴いによって私たちはその道を最後まで歩み抜くことができる。何故ならばイエスがその道を歩まれたからです。私たちはそのイエスの言葉を信じ、私たちの道を歩み出してまいりましょう。

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