「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(ガラテヤの信徒への手紙6:14)
当時の人々にとって十字架は呪い、無力、愚かなものでしたが、パウロは自分にとっては誇りだと言うのです。なぜでしょうか。彼はそこに自分を愛し、罪を赦し、神の子として生きることを可能とするイエス・キリストの愛を見たからでした。私たちにはどう見えるでしょうか。「うつりゆく世にも かわらで立てる、 主の十字架こそ われはほこらめ」(讃美歌)
当時の人々にとって十字架は呪い、無力、愚かなものでしたが、パウロは自分にとっては誇りだと言うのです。なぜでしょうか。彼はそこに自分を愛し、罪を赦し、神の子として生きることを可能とするイエス・キリストの愛を見たからでした。私たちにはどう見えるでしょうか。「うつりゆく世にも かわらで立てる、 主の十字架こそ われはほこらめ」(讃美歌)