京都のど田舎の長男の嫁として嫁いできたおかんの信仰生活は、生半可なものではなかった。…「お母さん、ようあの家でクリスチャン続けてきたなぁ。クリスチャンやめてもしゃあないほど、大変やったやんか」とボクがそう言うと、おかんはしばらく黙ったあと、こう言った。「私には神様しかなかったんや。神様は、無駄なことを一つもされへんかった。いつも良くしてきてくださったから」。
実は、「よくやった。良い忠実なしもべだ…」と言われるのは、おかんのようなクリスチャンじゃないかなと思う。がむしゃらな信仰、いきあたりばったりの信仰、勢いだけの信仰、でもおかんは神様にしがみついてきた。
聖書に出てくる人物たちにも、立派な信仰者はどこにもいない。嘘つきのヤコブ、怖がりのモーセ、浮気者のダビデ、裏切者のペテロ、でも彼らもまた神様に愛され、神様にしがみついてきた。それを神様は良しとしてくださったのだ。
ボクは、おかんから信仰の何を受け継いだのだろうか。そしてボクは、何を自分の子どもたちに繋いでいくのだろうか。(大嶋重徳『おかんとボクの信仰継承』より)