身よ、兄弟(姉妹)が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)
詩編133編には「都の上る歌」と見出しがついています。ある神学者はこの詩編に「家族愛」という題をつけていますが、私はもっと広く理解し、神の家族を詠った詩だと理解しています。
主イエスは弟子たちをご自分のもとに招き、「神のみこころを行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:35)と言われました。この神の家族は礼拝を捧げるために一つの場所に共に座ります。
聖書注解者G・A・F・ナイトは「シオンにこそ、すわなち『教会』の生命と交わりの中にこそ、主は祝福が下るように命じた」と説明しています。礼拝においてこそ神の祝福が「かぐわしい油」のように、ヘルモン山に降る恵みの雨のように私たちに注がれるのです。この神の祝福は私たちの心身を甦らせ、真の生命を与え、愛で私たちを充満するのです。
私たちはお互いを「兄弟姉妹」と呼び合える者としてこの礼拝の場に座り、心を一つにして礼拝を捧げているのです。これはなんという恵み、なんという喜びでしょうか。