宗教改革者マルティン・ルターは1525年6月にカタリア・フォン・ボラと結婚しました。彼は妻を愛し、「わたしは妻をフランスともベネチアとも取り替えたくない」と言いました。彼は妻を「ケーテ」と呼び、時には「わたしの肋骨」とも呼びました。これは神が一人の女性エバを造りアダムのもとに連れてこられた時、アダムが「これこそわたしの骨の骨」(創世記2:23)と言ったことに由来するものです。
1526年6月には長男ヨハネスが生まれました。ルターは全部で六人の子どもに恵まれましたが、病気で夭折した子もいます。三人目の子どもが生まれた時、ルターは「わたしは全世界のすべての教皇の神学者よりも富んでいる。なぜなら、わたしは満ち足り、そのうえ結婚によってすでに三人の子どもも与えられたから」と言っています。また子どもと遊んでいる時、ルターは「ああ、これは何という神の祝福であろう」と言ったとも言います。
ルターは子どもたちがしばしば「これなあに?」と尋ねるのに気づき、その言葉を用いた子どものための『小教理問答書』を作り、信仰と愛と希望を育てる手引きとしたのです。