「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16:14)
「かたくなな心」とは乾燥して固くなった心、マルコ4章の譬えでいえば「道端」のような心で、そこに蒔かれた種は鳥が食べてしまうのです。主は「おとがめ」になります。厳しいですが、私たちが良い地になリ、豊かな実を結ぶためには必要な言葉なのです。
「かたくなな心」とは乾燥して固くなった心、マルコ4章の譬えでいえば「道端」のような心で、そこに蒔かれた種は鳥が食べてしまうのです。主は「おとがめ」になります。厳しいですが、私たちが良い地になリ、豊かな実を結ぶためには必要な言葉なのです。