「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16:14)
「かたくなな心」とは乾燥して固くなった心、マルコ四章の譬えで言うと「道端」のような心で、そこに蒔かれた種は鳥が食べてしまうのです。主はそれを「おとがめ」になります。厳しいことですが、私たちが良い地となリ、豊かな実を結ぶために必要な言葉なのです。
「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16:15)
主イエスの群れは先ほどまで「不信仰とかたくなな心」を持っていました。彼らは小さく弱いのです。しかし主はそんな彼らに世界伝道の使命を託されたのです。主の視野は広く、射程は遠く、弟子への信頼と期待が大きいのです。
「遠くを照らすことのできる者だけが近くも照らすことができる」。長崎教会の牧師だった松藤守男先生の言葉です。〈将来〉に目を向けつつ誠実に〈今〉の働きに力を注ぎたいと思います。(踊)