十字架上で主イエスの口から洩れた言葉は七つ、その一つが「エロイ、エロ
、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34)です。マタイ27:46では「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」となっています。だから十字架の傍にいた人々は、「エロイ」「エリ」という言葉を聞いて預言者エリヤの助けを求めていると思ったのです。しかしこの言葉は「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味なのです。
主イエスは耐え難い十字架の苦しみの中で神が分からなくなったのでしょうか。いわゆる日本人が絶望状況で口にする「神も仏もない!」という叫びだったのでしょうか。いいえ、反対です。父なる神との一体感に生きていた主イエスが、身代わりに負うた人間の罪のゆえに、神から遠く引き離される経験、それが十字架の苦しみであり、それゆえの叫びだったのです。神がいないゆえの叫びではなく、神は確かにいまし、その神から引き離されるがゆえの叫びだったのです。
だから主は最後の最後で、確かにいます神に「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われたれたのです。神の存在を確信できない人が自分を神の御手にゆだねたりはしないでしょう。(踊)