「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた」(マタイ5:1-2)
これは山上の説教の始まりの箇所です。カトリック司祭ジョン・ディアは『山上の説教を生きる―八福の教えと平和創造』の中で「これらの言葉はイエスの希望であり祈りでありビジョンであった」、またこれは「キリスト者のための青写真、キリスト者一人ひとりの行程表、巡礼のための道路地図」と述べています。私たちも主の示されたこの道を真剣に歩きたいと思います。
これは山上の説教の始まりの箇所です。カトリック司祭ジョン・ディアは『山上の説教を生きる―八福の教えと平和創造』の中で「これらの言葉はイエスの希望であり祈りでありビジョンであった」、またこれは「キリスト者のための青写真、キリスト者一人ひとりの行程表、巡礼のための道路地図」と述べています。私たちも主の示されたこの道を真剣に歩きたいと思います。