4月9日のみことば

「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた」(Ⅰコリント13:11)

私が西南学院教会に赴任した時、長男はまだ3歳でした。夜の集会に長男を置いておけないので連れていきました。大人が祈る時、長男はカバンの中のミニカーを出して静かに遊んでいました。ある人から「牧師の子どもは祈りの時に遊んでいる!」と指摘されました。でも私はそれでいいと思いました。E.H.ピーターソンなら、それが幼子の捧げる祈りだと言ったにちがいありません。

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