「わたしの時はあなたのみ手にあります」(詩篇31:15/口語訳)
この聖句についてルターはこう書いているそうです。「この聖句を私は今、この病気の間に学び知った。そして、この聖句についての自分のこれまでの理解を訂正したいと思う。というのは私は以前、この句をただ死の瞬間についてのみ語っているものと思っていたからである。この句は実はこういう意味なのだ。あなたの両手の中に私のさまざまな時がある。私の全生涯、すべての日々、時々刻々が、という意味なのだ」。私はこの言葉がルターのどの書物にあるのか知りません。いつか「あゝ、ここにあった」という喜びを体験したいと思います。それにしても、自分の無知を正直に告白するルターはなんと謙遜な人であることでしょうか。